毛丹青:わたし自身が肌で感じた日本

毛丹青:わたし自身が肌で感じた日本。 いまの日本の魅力と言えば、日常的であって、オーバーなところも、ひけらかすところもない、ということでしょうか。もちろん、この日常的というのは、政治的なことではなく、一人の中国人としていつもここで生活している者が感じ、思っていることにすぎません…

タグ: 日本 寺院 工匠 技芸 文化

発信時間: 2012-02-03 15:56:02 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

いまの日本の魅力と言えば、日常的であって、オーバーなところも、ひけらかすところもない、ということでしょうか。もちろん、この日常的というのは、政治的なことではなく、一人の中国人としていつもここで生活している者が感じ、思っていることにすぎません。

たとえば、寺院を訪れる。その素朴な山門を目にし、質素な装飾を見るたびに、安らぎを感じます。中国の古書でよく出合った光景でありながら、いまの中国ではそうした思いをすることは少なくなりつつあります。寺院の多くはきらびやかで、あでやかで、日本とは違いますね。

それに、日本は儀式の国、なににつけても儀式が。また、工匠の国でもあって、技芸を大切にしています。これにはとても共鳴しました。数多くの体験をしてきましたが、その一つが、北海道で馬蹄師と知り合ったことです。その人はこの道50年。ひづめのどこに神経があるかを知ろうと、馬小屋で馬と一緒に過ごしたそうです。そのおかげで、蹄鉄を打つときに馬を傷つけることがなくなった、と話していました。

そして、樹木を専門に伐採する工匠にも出合いました。木を切って30年余り、日本人は木こりと呼んでいます。いつも高い木に登っては、枝をまるで芸術のように切り取っていく。いわゆる芸術とは、人を傷つけることのないよう、近くにあるビルのガラスを割ることのないよう、いかに枝を切り落としていくかなのです。東京のような大都会では空間がないので、うまくやらないと問題が起きかねません。彼は登るたびに木にささやいているそうです。「あなたの命をあずかっているのです、許してほしい、お願いです!」。実際、伐採は樹木を救うことであって、彼らが根っこを掘り起こすなどありません。

どのように日本に目を向け、どのように日本を感じるか、それは実は、一人ひとりがどう行動するかによるのではないでしょうか。いまお話した小さな物語も、偶然のことであって、わたしの体験をかすめていっただけです。でも、とどまった時間はわずかであれ、否定できないのは、それらが一瞬にしてわたしの心に焼きついたことです。「心に焼きつく」、それが実は、一人ひとりが感じることではないでしょうか。(日本新華僑報電子版・毛丹青)

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月3日

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