2年間の語学学校生活が終わりに近づいた。その間、仕事を何度も換え、試験を何度も受け、多くの贈り物をするだけだった。まだ周鶴さんは自分に相応しい「大事」を見つけていない。友人たちが期待するようなお金も稼いでいない。一番つらいのは、日本のどの大学にも合格していないことだ。
日本は稼ぎやすいんじゃなかったのか。自分ほど頭が切れて大志を持った人間が、どうして台頭できないのか。周鶴さんはわけが分からなかった。
周鶴さんは帰国することにした。帰国後、日本語や日本人、日本社会について教えを請う人が絶えなかったが、彼は一言、「俺は彼らが分からない」と言うばかりだった。
海外生活の最終的な目的は、自分に最も合った土地で芽を出し、開花させることである。日本という地が周鶴さんにチャンスを与えなかったのだろうか。それとも周鶴さんが自分に成長の時間を与えなかったのだろうか。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年7月31日