鳩山氏の今回の訪中は、容易に実現されたものではない。東アジア共同体構想の提唱者である鳩山氏の政治的運命は、波乱に満ちていると言える。鳩山氏は、日本はアジアに位置する国家であり、日増しに活力を増す東アジアを日本の基本的な生存範囲であると認める必要があると主張した。鳩山氏はこの理念に基づき、2009年の首相就任時から、アジア外交の推進に尽力した。その結果米国を怒らせてしまい、たった8ヶ月で首相の座を下りることになった。鳩山氏は本来ならば中日国交正常化40周年の際に訪中を予定していたが、日本国内の政治環境により延期を余儀なくされた。昨年末の衆議院総選挙で、立候補者は民主党の政権公約に対して宣誓する必要があったが、鳩山氏はこれを受け入れられなかったため、政界からの引退を宣言せざるをえなかった。安倍内閣は鳩山氏の今回の訪中を警戒しており、訪中前から「政府を代表しない個人的な訪問」と決めつけた。
鳩山氏の日本での境遇は、単なる一例ではない。軍国主義復活の熱狂的な声の中、理性的な人は口を閉ざしている。一部の人が時に理性的な声をあげても、すぐさま否定されてしまう。自由と民主を標榜する国は、異なる意見に対しては独裁国家よりも厳しく無情だ。これは日本の悲しいところで、中日関係の不幸でもある。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013年1月18日