マレーシア第二次大戦歴史研究会の楊佐智副秘書によると、一部のマレーシア人はこの歴史を子孫が忘れないよう毎年8月15日の日本の敗戦日に記念式典を開いているという。シンガポールでは、毎年2月に多くの人が日本占領時の犠牲者を弔う記念碑を訪れ追悼する。1942年2月18日、日本軍第25軍司令官の山下奉文がある「粛清」令を下した。それは一般市民を組織的に虐殺する計画だった。シンガポール国立大学歴史学部教授で軍事歴史学者のブライアン・ファレル氏によると、メガネをかけた人(教育を受けた知識分子)、入墨を入れた人(徒党を組む悪党)、積極的な抗日人物、海南出身の人(共産党員)など日本軍はかつて「反日分子」に対する検証を行っていたという。シンガポールでは18~50歳の中国系男性が検証場所に連れて行かれ検証を受け、現在残っている資料によれば、こうして連れて行かれた人は不幸にもトラックにのせられ大部分は海辺で射殺されたり、首をはねられたという。「シンガポールの国父」李光耀(リー・クアンユー)元総理の回顧録には、彼が当時日本軍の「検証」行動からなんとか逃れたことが記されている。
「粛清」の血なまぐさい歴史をシンガポール人は忘れていない。シンガポール国立大学歴史学部の黄縦立助教授は、政府は当時「粛清」があった場所を文化財に指定したと話す。シンガポールで生まれ育った同大学政治学部の黄奕鵬助教授は、小さい頃から祖母に「粛清」のことを聞いて育ったという。日本軍が5~6万人殺害したことや、当時祖母の弟が日本人に連れて行かれ二度と帰ってこなかったことなど家族全員日本に対して憤慨し、日本製品を買いたがらないと語った。
黄助教授のように家族が苦難を経験した東南アジア人はまさに歴史の観点から日本を見ている。今日多くの日本企業が東南アジアで順調に発展しているが、それはいまだに「福田ドクトリン」のボーナスを享受しているからだ。10年近く東南アジアで働いている日本貿易振興機構タイビジネスサポートセンターの矢島洋一代表は、「田中角栄氏が大規模な反日デモに遭ったのは、当時日本が『経済植民地主義』をやるのではないかと東南アジア人に恐怖を感じさせたからだ。一方、日本は軍事大国ではなく、東南アジア各国と心から理解し合う友人になりたいという福田赳夫氏の提案は、日本のイメージ改善に非常に大きな役割を果たした」と話す。
「福田ドクトリン」に対し、安倍氏の「価値観外交」で東南アジア各国の日本に対する警戒心を解くのは難しいだろう。シンガポールの学者、趙洪氏は、「価値観外交」は操作する上で大きな困難があると指摘する。「東南アジア各国にはいずれも自らの利益があり、価値観で取り入るのは難しい」というのだ。趙氏によると、安倍首相の「価値観外交」は政治の道具であることから、東南アジアの学術界ではイメージがよくないという。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年6月20日