装飾の模様として桜が用いられ始めたのは、文学に桜が登場した後のことである。とりわけ染物において、模様のデザインが始まったのは飛鳥時代(538-710年)から奈良時代(710-794年)である。当時、日本の文化は中国の影響を色濃く受けており、染色技術や模様においても、中国の様式が盛んに用いられ、日本独自のセンスは失われていた。
実際のところ、日本はこのような抽象的で簡素なデザインをあまり好まず、得意としていなかった。
一方、そのようなデザインは中国の模様の特徴であり、象徴主義による抽象的な表現形式は、道徳や政治を教育感化する役割を果たし、いわゆる「文明による教育」とされていた。教義を簡素化して伝えることが美の具体的な存在形式だった。
樹木と花を例に挙げると、審美的な観点からすれば、そのそれぞれに何らかの意味が込められている。中国画で扱われる伝統的な題材で、古くから人々に愛され、「四君子」と言われる「梅・蘭・竹・菊」、冬にもその強い生命力で鮮やかに色あせないことから、気高さの象徴である「松・竹・梅」、更には「高貴・優雅」の象徴である「牡丹」や「芙蓉」、仲睦まじい様子や変わらぬ愛情を意味する「梧桐(アオギリ)」など草花や樹木には皆道徳的な意味があり、それが美しさの基準にも影響している。