中国の影響から脱した日本式の美意識

中国の影響から脱した日本式の美意識。 装飾の模様として桜が用いられ始めたのは、文学に桜が登場した後のことである。とりわけ染物において、模様のデザインが始まったのは飛鳥時代(538-710年)から奈良時代(710-794年)である…

タグ: 日本,デザイン,審美,美意識,美しさ,中国文化

発信時間: 2013-08-04 09:26:11 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

詰まるところ、中国式の完全無欠の美は知性や美意識と結びついており、道徳的な価値観が大きく影響している。

桜を愛でる日本人の価値観は、そのような中国式の美意識の影響を受けておらず、道徳的な観点からではなく、五部咲きや七部咲き、満開、花吹雪、葉桜、紅葉など抽象的な意味ではなく、桜そのものの美しさに重点が置かれている。

桜の美しさはその細部にある。朝から夜にかけての変化と共に、その美しさも変化し、人々はそれぞれの思いで桜を愛で、その細部に思いを寄せる。中国式の美意識ではなく、桜の実物そのものを見る。

中国式美意識の理想は永遠であるが、実体的な美しさを好む日本人は永遠を求めなかった。自然の中において、美しさは抽象的ではなく、具体的にそこにあり、永遠である必要はなく、今目の前にあるものが重要である。日本人はその一時の美しさを愛し、その瞬間の自然な美しさを待ち望むことを愛する。

平安時代、日本の民族意識は中国文化から徐々に解き放たれ、独自の様式を持つようになった。絵画で描かれる花や鳥は完全に中国的な要素から脱し、純粋で写実的なものとなり、自然かつ自由になっていった。

中国文化の影響から抜け出した日本人の感性が解き放たれると、絵画のデザインと自然はすぐさま結びつき、自然美に傾向した芸術スタイルが完成した。

桃山時代、日本人は花びらに美の価値を見出し、それが表現形式にも活かされるようになった。特に西陣を代表する織物「唐織」で描かれる桜には自由な鮮やかさが表れている。そして、江戸時代の名所旧跡を見ると、桜は『源氏物語』や『伊勢物語』の影響を受け、叙情的な傾向になり、桜の花びら一つ一つではなく、桜の木そのものが注目されるようになった。花や葉、幹や枝、そのすべてが繋がり、枯れてはまた芽吹く、まるで一つの物語のように捉えられていた。

桜の木の一生、その根、幹、可憐な花、淡い花びら、そのすべてが自然本来の美しさを讃えている。そして、日本人はヤマザクラをより一層好み、野性の桜の美しさを追い求めるようになった。

桜を愛でることによって、日本人は中国式美意識の影響から脱却したのである。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年8月4日

 

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