日本に鄭成功記念館 共通の英雄記念で中日関係改善願う

日本に鄭成功記念館 共通の英雄記念で中日関係改善願う。

タグ: 日本 鄭成功 記念館

発信時間: 2013-08-21 17:01:13 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

「私たちは島の問題のように争うのはご免だ。鄭成功は日本の血が流れる日中両国の英雄だ」。先日落成した長崎の鄭成功記念館で、あるタクシードライバーが「環球時報」の記者に笑顔で話す。

300年前、鄭成功は軍を率いて台湾海峡を横断し、オランダに38年間占領されていた台湾を取り戻した。このときから、鄭成功は侵略者と勇敢に戦う中華民族の英雄として語り継がれることになった。しかし、鄭成功は中国の英雄であるだけでなく、日本でも「日本出身のアジアの英雄」と讃えられていることはあまり知られていない。鄭成功は7歳のまでの間、現在の長崎県平戸市で過ごした。「環球時報」の記者が当時の遣唐使の出発地でもあるこの地を訪れたときには、鄭成功はすでにこの街の一部になっていることに気づかされる。

300年が過ぎた今でも、平戸市はこの地に生まれ育った英雄のことを忘れてはいなかった。ここには鄭成功記念館や鄭成功誕生石、鄭成功廟、鄭成功記念公園などがあり、毎年7月14日の鄭成功誕生の日には鄭成功まつりが開かれる。「1624年のこの日、妊娠していた田川七左衛門の娘田川松が浜辺で貝を拾っていたとき、突然の陣痛に帰宅することができず、恥じらいながら浜辺の大きな石の陰で鄭成功を生み下ろした。後にこの石は「鄭成功誕生石」と名付けられた。」そう語るのは進んでガイドを買って出てくれたタクシードライバー。現在、鄭成功が生前住んでいた家は鄭成功記念館として7月14日に開館し、無料で参観できるようになっている。

鄭成功記念館は平戸市観光商工会観光課が運営管理に当たっている。「鄭成功の功績を讃え、後世に伝えるために鄭成功の幼少期の住まいを記念館にしました。鄭成功は中国と世界の華人の間での知名度は高く、記念館落成後は、多くの中国人観光客を引きつけ、経済の活性化が期待できる」と同課の責任者である江川佳徳氏は話す。鄭成功記念館は560平米の敷地面積を有し、鄭成功居宅跡、鄭成功母子像、鄭成功が自ら植えたと言われるナギの木の3つの参観スポットがある。母子像は記念館の中央に位置し、居宅跡とナギの木は左右に分かれる。鄭成功は幼い頃から片親家族のような暮らしをしていていた。父鄭芝龍は長年貿易に奔走し、鄭成功は生まれてから母の手一つで育てられてきた。7歳のときに父とともに日本を離れ、今度は父だけの片親家族状態の生活を過ごした。1645年、鄭成功の母も家族が暮らす中国泉州安平に渡り、ようやく一家団欒を果たす。しかし、数ヶ月もしないうちに、清軍が南下。安平を襲撃し、母田川松は節義に殉じ自殺を選んだ。母の死を知らされた鄭成功は、丸三日食事も喉を通さなかったとう。この母子愛記念するため、2008年、平戸市民の出資によって、一番目立つ位置に母子像が建てられた。

1982年から、平戸市と台湾の民間団体「鄭氏宗親会」は交流を始める。交流の中で、より良い形で鄭成功の功績を記念するため、平戸市鄭成功居宅跡に記念館を建てる構想が練られた。また、平戸市と福建南安市は鄭成功縁の地として、1995年に姉妹都市になっている。南安は鄭成功の原籍地で、平戸を離れてから移り住んだ場所でもある。

 

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