鄭成功居宅跡は伝統的な日本式木造建築で、玄関と客間、和室、航海の守護神媽祖(まそ)像室と生活空間からなっている。玄関を入ると、父鄭芝龍が海外貿易に使用したとされる船の模型が飾られている。また、玄関を入ってすぐに「延平郡王」という文字が見える。1655年、南明の永歴帝は鄭成功を潮王(親王階級)に封じたいと考えたが、鄭成功は功がそれに至らないとして受け入れず、最後は勅命によって郡王階級の「延平郡王」に封じられた。鄭成功の軍人としての一面を表するため、生活空間には鄭軍兵士塑像と刀剣の模型が並べられている。
江川氏によると、開館2週間で観光客は500人を超えたという。多くの日本人が鄭成功を知っているものの、その知名度は戦国時代や江戸時代の英雄には劣る。平戸市は今後大々的に宣伝を行い、鄭成功の知名度を上げたいとしている。また、平戸市は現在海外への宣伝に力を入れており、開館1週間で84人の中国人観光客が訪れた。このペースでいけば、平戸を訪れる中国人観光客は間もなくして韓国人観光客を超えるだろうということだ。「開館したばかりなので、まだ観光客から評価を収集できていない。来館する日本人も多く、中国人観光客からの問い合わせも増えている。観光客の積極的な評価が色々な面に現れてくるだろう」と江川氏は話す。
記念館が中日関係にもたらす役割について、江川氏は、「日中両国は長い往来の歴史があり、共通の文化もたくさんあります。鄭成功のような共通の歴史人物は、日中文化の最も良い接触点。中国人が彼を忘れることはなく、日本人も彼を忘れません。彼のような人物が両国を結びつけ、互いの友好関係を末永いものにしてくれます。特に今の日中関係は厳しく肝心な時期にあるので、こうした人物が一段と大切になってくる」と記者に語る。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年8月21日