「中日甲午戦争の遺産」は日本のアヘン

「中日甲午戦争の遺産」は日本のアヘン。 甲午戦争で形成されたこの政治的遺産は日本の近現代の発展を支える核心的価値、政府の内政・外交の戦略的基盤となった。「甲午戦争の遺産」はアジアの国に多大な災難をもたらすとともに、日本に無残な代償を払わせた…

タグ: 日清戦争 靖国 災難 戦争賠償

発信時間: 2014-01-03 16:09:20 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本の学者、井上清氏は著書「日本の軍国主義」で、「日清戦争は日本が近代帝国主義の強盗政策に向かう道を拓いた」と述べている。著者は、中日甲午戦争(日本名・日清戦争)には3つの影響があったとし、(1)日本が軍国主義の侵略拡張に向かう道を拓いた(2)日本の軍国主義が中国に対して侵略を繰り返す歴史を拓いた(3)日本人の傲慢さと横暴さを育成し、膨張させた――との見方を示す。このときから「東洋の覇者」や「万世一系」は日本人の根強い名誉となった。甲午戦争で形成された軍国主義の道、侵略拡張政策、思い上がった右翼勢力の三位一体の軍国政治と植民地文化によって日本は1世紀以上の「甲午戦争の遺産」を背負うこととなった。

甲午戦争で形成されたこの政治的遺産は日本の近現代の発展を支える核心的価値、政府の内政・外交の戦略的基盤となった。甲午戦争から40年代まで日本発展の歴史は、戦争の歴史、侵略の歴史といえる。19世紀末以降の日本はこの政治的遺産を原動力に軍国主義に向かって走り、日露戦争、中国侵略戦争、真珠湾攻撃などを発動、日本は世界の近現代史上、侵略戦争を発動した回数が最も多く、持続期間が最も長く、波及面が最も広く、危害が最も著しい国となった。

「甲午戦争の遺産」は中国などアジアの国に多大な災難をもたらすとともに、日本に無残な代償を払わせた。当時の日本経済安定本部の統計によると、1941年以降の戦死者180万人、国家財産の損失643億9200万円、空襲による直接的な経済損失486億4900万円、航空機と艦艇の損失だけでも340億円に達する。これらの数字を合わせると当時の日本の財政収入の数十倍になる。

日本は戦後過ちを徹底的に改め、甲午戦争の遺産と決別すべきであった。しかし残念なことに日本は適当にお茶を濁し、天皇制という軍国主義の禍根を残した。40年代末から50年代初めにかけ、多くのA級戦犯が満期を待たずに釈放され、政界に復帰し、首相になった者までいた。戦前のファシズム、軍国主義組織が復活し、国民教育も再び軍国政治と植民地文化を中心に展開し、「甲午戦争の遺産」が再び戦後の日本において国民の闘志をかきたてるアヘンとなった。

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