重慶大爆撃裁判 第1回人証調べで原告が証言

重慶大爆撃裁判 第1回人証調べで原告が証言。 第二次世界大戦中の1938年から43年にかけて、旧日本軍は当時の中国の首都・重慶やその周辺地域に対して断続的に無差別爆撃を実施。直接死者だけで約3万人、間接死傷者が約6600人に上った…

タグ: 重慶大爆撃裁判

発信時間: 2014-04-19 10:19:51 | チャイナネット | 編集者にメールを送る
17日午後、爆撃によって足を切断された母・羅富易さんの写真を見せる羅淑琴さん。


第二次世界大戦中の1938年から43年にかけて、旧日本軍は当時の中国の首都・重慶やその周辺地域に対して断続的に無差別爆撃を実施。直接死者だけで約3万人、間接死傷者が約6600人に上った。今月16日に東京地裁103号法廷で行われた第26回重慶大爆撃裁判において、原告の粟遠奎さん(80)が法廷で証言し、「1941年6月5日、家が旧日本軍の爆撃を受け壊滅。姉2人が亡くなった。この日を境に、それまで豊だった生活が一変してしまった」と訴えた。人民日報が報じた。

粟さんは17日、東京衆議院第2議員会館で開催された「重慶大爆撃の被害者の証言を聞く連続院内集会(第1回)」にも参加し、「日本の中国侵略戦争から既に70年近くが過ぎたが、被害者にとって、戦争はまだ続いている。私たちの精神的、肉体的苦痛は消えていない。被害者の一人として、日本政府が歴史と向き合い、誠意をもって重慶爆撃の被害者に謝罪と賠償を行うことを求める」と訴えた。

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