抗日戦争の体験者が語る戦争の記憶

抗日戦争の体験者が語る戦争の記憶。 1937年7月7日、盧溝橋に響いた一発の銃声が、中国の全面的抗日戦争の幕を切って落とした…

タグ: 抗日戦争 体験者 記憶

発信時間: 2014-07-08 14:40:32 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

 

呂淑君さん。1925年生まれの日本人残留孤児で、桂川君子という名を持っていた。現在は安徽省合肥市に住む。 

1943年、高等小学校の8年間の学業を終えた呂さんは、両親とともに故郷を離れて中国東北部に赴き、吉林省延辺の開拓団農場での暮らしを始めた。2年後、日本が敗けて投降すると、開拓団の日本人は送還されたか、あるいは散り散りとなって逃げ出した。呂さんは逃亡途中で両親とはぐれ、その後二度と会うことはできなかった。 

戦争は呂さんに大きな傷を残した。故郷に帰れなくなっただけでなく、家族とも生き別れた。そのことを思うたびに心が痛むという。呂さんはその後、ある解放軍幹部に嫁ぎ、中国の学校に入って、中国語を学んだ。1970年代末期になってやっと日本に帰り、兄らと再会を果たした。だが中国の生活になじんでいた呂さんは、中国に定住し、子どもたちと暮らすことを選んだ。 

映写されているのは、1943年、中国に来る前の呂淑君さん(右から2番目)と姉や甥との家族写真(呂さん提供)。

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