中日甲午戦争(日清戦争)は日本帝国主義が発動した侵略戦争であり、1894年7月25日の豊島沖海戦によって火蓋が切られ、1895年4月17日の馬関条約(下関条約)締結によって終結した。日本が大勝し、中国は惨敗し、北洋海軍は全軍壊滅した。戦後清政府は日本との不平等な馬関条約の締結を余儀なくされ、賠償金2億両に加え「遼東半島の代償」3000万両の支払いを余儀なくされた。この2億3000万両は当時の日本の国家予算の4年半分に相当した。(文・張軍社・海軍軍事学術研究所研究員。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
日本は侵略および中国に強要した巨額の賠償金によって経済力、軍事力、および総合国力の飛躍的強化を実現し、列強の仲間入りをし、対外拡張という軍国主義の道を歩み、アジア太平洋地域の戦争の策動地となり、その後のさらに大規模な中国侵略戦争の土台も打ち固めた。
甲午戦争によって中国は「天朝上国」という妄想を打ち砕かれ、半植民地化がエスカレートし、近代化プロセスも中断された。近代中国の反侵略戦争において、中日甲午戦争は規模が最大で、影響が最も深く、最も重い結果をもたらした戦争だったと言える。甲午戦争は中国人の心の中で永遠に消し去ることのできない痛みだ。
前事を忘れず、後事の師とする。われわれが歴史を銘記するのは、歴史を繰り返させないためだ。
過去の歴史は、近代日本の台頭の歴史が基本的に対中侵略の歴史であったことをわれわれに明示している。今日の現実は、日本社会に軍国主義復活の危険が確かに存在することをわれわれに伝えている。1980年代以降、日本右翼勢力は絶えず教科書改正、靖国神社参拝、侵略の歴史を否定する謬論、書籍の出版などの手段を通じて、大それたことに歴史をひっくり返そうと企て、軍国主義復活の雰囲気と土壌を醸成してきた。現在日本右翼勢力は、いよいよ力の限りを尽くして侵略の歴史を否認、粉飾し、執拗に靖国神社を参拝し、第2次大戦のA級戦犯の招魂をしている。領土紛争問題では、隣国に対する一方的な挑発行為を繰り返している。平和憲法をほしいままに踏みにじり、集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊による海外作戦の口実を探し、地域と世界の平和・安定を深刻に脅かしている。
日本国内の一部右翼は常に準備をし、機会を探り、新たな戦争で再び中国に勝って、第2次大戦の敗戦国という半世紀来のレッテルを剥ぎ取ることを期待している。再び中国から巨大な利益を獲得し、再び中国の台頭プロセスをかき乱そうと愚かにももくろんでいる。これが日本国民全体の意志ではないことは知っている。だが、もしこうした軍国主義者が日本の政権を掌握すれば、どんな事も起こりうる。少数の国々も中国を封じ込めようとする私利から、日本右翼勢力の強大化を座視、さらには黙認・支持してはならない。さもなくば結局は必ず自らに災いが跳ね返ることになる。この点は第2次大戦・太平洋戦争の歴史によって、とっくに証明されている。