日本の宮内庁は9月9日に、「昭和天皇実録」の内容を公開した。実録は昭和天皇裕仁の争議に満ちた一生を記録した。共同通信社は9月9日、「昭和天皇は自らの判断でポツダム宣言を受け入れ、終戦の道を開いた。実録の内容によると、昭和天皇は戦後も戦争責任を追及され、最高統治者として戦禍拡大を阻止できず、国内外で多くの死者を出したと批判され続けた」と報じた。
実録の記載によると、終戦から半月後の1945年8月29日、当時44歳の昭和天皇は側近の内大臣木戸幸一を呼び、「退位によって、戦争責任者の連合国への引き渡しを取りやめることはできないだろうか」と漏らした。天皇制が揺らぐことを懸念し、慎重な判断を求める木戸との議論は1時間余りに及んだ。
日本政府は同年11月の閣議決定で、「天皇は憲法運用上の慣例に従い、大本営、政府の決定を却下できなかった」と主導者としての責任を否定した。
天皇を利用して占領政策を円滑に進めたい米国を中心とした、連合国軍総司令部(GHQ)の思惑も重なって、「天皇免責」の流れが固まっていった。
元首相の東条英機らA級戦犯が絞首刑となった極東国際軍事裁判で、昭和天皇が被告席に座ることはなかった。連合国による責任追及は決着した形になったが、国内外で道義的な責任を問う声は消えなかった。