「いつ停戦を決めたのか」、「日本はなぜ戦争の道を歩んだのか」昭和天皇は記者会見を開くたび、これらの戦争に関する質問を受けた。昭和天皇は、政府方針の範囲内で、回答を繰り返した。1975年の訪米後の記者会見で、戦争責任について直接質問された際、昭和天皇は真意をひた隠しにし、明確な回答を避けた。
終戦から26年後の1971年、昭和天皇は戦争の影を引きながら欧州を訪問した。これは昭和天皇の戦後初の外遊となった。
実録の内容によると、昭和天皇が戦争中の敵国であったイギリスで植えた杉の木が切り倒され、「彼らは無意味な犠牲にはならなかった」というメッセージが残されていた。オランダでは、昭和天皇の乗った車に魔法瓶が投げつけられ、フロントガラスにひびが入った。昭和天皇のアジア諸国への謝罪も、重く苦しい課題となった。
1988年4月の記者会見で、昭和天皇は戦争に関する質問を受けた。晩年の昭和天皇は、「何といっても一番嫌な思い出です。国民が平和を守ってくれることを期待しています」と答えた。87年の生涯で最後の問答も戦争だった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年9月14日