このほど「ドラえもんのひみつ道具100展」が中国各地で開催されている。地方紙は、ドラえもんのキャラクターの裏には、強い政治的意図があるのではと疑い、「中国人はドラえもんを盲目的に求めてはならない」と呼びかけた。あるネットユーザーは、「ドラえもんが集中砲火を浴びている」と冗談を言った。
この22世紀の未来からやってきたネコ型ロボットは、なぜ別の含意を込められたのだろうか?文芸評論家の李敬沢氏、謝有順氏らは、これは文化に対する自信のなさの現れだと指摘した。中国にも漫画の力強いイメージがあれば、「たった一匹のネコ」にこれほど敏感になるわけがない。中国人が、子供から愛される漫画作品を創造できれば、青少年が何を見るかをこれほど心配する必要はない。海外のアニメキャラクターの人気に警戒する必要はないが、中国人の想像力と気持ちを託せるキャラクターの創造に取り組むべきだ。
中国で近年人々によく知られているアニメと言えば、『喜羊羊与灰太狼(シーヤンヤンとホイタイラン)』や『熊出没』で、そのアニメ番組と関連商品は中国の都市部と農村にあまねく普及している。この年代の中国の子供たちは、これらの作品を見て成長している。しかしこれらの作品の放送は、視聴者から拍手を浴びておらず、むしろ保護者から懸念されている。
この2作品は、中国産アニメの創作に共通する問題を反映している。
(1)想像力の欠如。想像力はアニメ作品の命だ。想像力のないアニメ作品は、創作者の現実生活に対する稚拙なコピーでしかない。
(2)創作に不真面目。前期の話に新鮮な内容があったとしても、後期になると単純な自己コピーに落ちぶれる。キャラクターの言葉と行為も、無味乾燥になる。
(3)狭い世界観。些細な損失にこだわり、広い視野を持つことができない。文化的な中身を持たず、視聴者を強く引き付けない。