中国製品の活路はどこに?
製造業には、非常に素朴な次の哲学がある。
米をグチャグチャにするのではなく、粒が立つように炊ける炊飯器を作ることはできないのだろうか。
手触り良く髪を乾かしてくれるドライヤーを作ることはできないのだろうか。
主婦が少しの力で物を切れる包丁を作ることはできないのだろうか。
雪の中でもお湯を飲める魔法瓶を作ることはできないのだろうか。
お尻を綺麗にし、春風が吹いたように気持よくしてくれるウォシュレットを作ることはできないのだろうか。
炊飯器やウォシュレットはいずれもいわゆる伝統産業だが、これが「落ち日」になるか、利益を得ることができるかは、技術と理念の革新によって左右される。この世に落ち目の産業はない。あるのは、落ち目の企業と人のみだ。
苦境に立たされた製造業者は、外部に助けを求め、見知らぬ戦場で運試しをするのではなく、自ら飛躍を求め、よく知る本業で歯を食いしばり、技術の革新を求めるべきだ。規模の拡大から質の向上への移行は、中国の製造業が最後に取り組むべきことだ。
沖縄の免税店で大量の商品を購入した、藍獅子文化創意有限公司の若き同僚は、みな中国の中産階級、理性的な消費の中堅だ。彼らは広告に容易に動かされず、コストパフォーマンスの高い商品を好む。しかし彼らは同時に性能を重視し、新技術や新たな体験のためにお金を使おうとする。この消費者の登場は、製造業のモデルチェンジ・アップグレードの折り返し点だ。
中国製品の活路は他でもない、人の心を動かす製品を作り、中産階級の人々に海外でウォシュレットを購入させないことにある。(筆者:呉暁波 財政・経済コラムニスト)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年1月29日
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