メルケル首相はドイツを例として、日本に侵略を反省し、周辺諸国との和解を実現するよう促した。メルケル首相は親切心から口を酸っぱくして説得したが、日本はこれに何も感じなかったようだ。岸田文雄外相は「背景が異なり、比較することは適当ではない」という一言であっさりと触れるに留まったが、これにはため息を漏らさざるをえない。模範の力にも限界があるようで、日本は歴史を覆す道を歩む決意を固めたようだ。香港紙『大公報』が伝えた。
岸田外相は、日本とドイツでは「先の大戦中に何が起こったか」、「どういう状況下で戦後処理に取り組んだか」という背景が異なると言ったが、これは何を指しているのだろうか。両国は第二次大戦の発動国と敗戦国であり、全人類に深刻な災いをもたらした。両国は同じく戦後復興、経済発展の長い過程を経ており、比較できないわけがない。
細かく見ていくと、日本が話の辻褄を合わせられないことが分かる。「単純に比較することはできない」は、万策尽きた人間の言い訳に過ぎず、いわゆる「安倍内閣と歴代内閣の歴史認識は同じだ」という説は自分と他人を欺く説だ。
比較が適切であるか否かは二の次で、日本にはドイツと比較する資格がないことの方が重要だ。同じく第二次大戦で大罪を犯したファシズム国である独日は、歴史に対する認識と反省がまったく異なっている。ブラント元首相は1971年にワルシャワゲットー記念碑の前で跪き、ドイツの第二次大戦への反省の誠意を全世界に認識させた。
ドイツ人は数十年に渡りナチスが犯した非人道的な罪と勇敢に向き合い、被害国とユダヤ人に謝罪・賠償を繰り返し、実際の行動により子々孫々と歴史を胸に刻んでいる。ドイツは立法により、ナチズムを支持する言行を明確に禁じている。ところが日本では、政府から民間に至るまで戦争の罪を真剣に反省したことがなく、靖国神社を参拝し、歴史教科書を修訂している。侵略の美化が、戦後70年の発展を貫いている。