安倍首相が就任すると、この逆流がピークに達した。「侵略に定義はない」「慰安婦は必要だった」など軍国主義を扇動する異端の邪説が大手を振り、歴史を否定し、戦後の秩序を覆すことが一種の流行となっている。ドイツと正反対である日本に、比較をする資格はない。
比較できるかできないかではなく、この比較が日本を困らせていることが重要だ。ドイツの誠意ある懺悔は欧州から理解され、国際社会から受け入れられた。経済が急速に回復したほか、ドイツはその独自の強みにより、欧州の発展の牽引車になった。ドイツは国際舞台で重要な役割を演じ、世界の大家庭の尊重される平等な一員になった。
ところが日本は間違った歴史観を徹底的に清算できておらず、アジアばかりか世界でも孤立している。一度は世界2位の経済体になったが、永遠に「政治の小人」であり、主人の米国の後を追うしかなく、独立した国としての尊厳を持たない。これは「経済の巨人」に相応しくない。
国際社会は日本の軍国主義復活の狙いに警戒を強めている。中韓などの周辺諸国がこれを恐れているほか、米国さえ時には横槍を入れて、日本が間違った道を歩み続けることを防いでいるほどだ。ドイツの現在の国際的な地位は、夢の様なものだ。日本はドイツの成果を羨ましくもあり、妬ましくもあり、複雑な感情を抱いており、比較すれば自ずといたたまれなくなる。
比較は目的ではなく、手段だ。比較して初めて判断と修正が可能になる。日本は比較を恐れているが、それよりも比較後の修正を恐れている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年3月12日