抗戦勃発後、中国共産党が率いる人民が武装し、血まみれで奮戦し、日本の侵略者と死力を尽くして戦った。しかし抗戦中の中国共産党は「遊にして撃たず」であったと批判し、敵後方の戦場における貢献を過小評価する人が常にいる。実際には、このような論調は抗戦の時代に「流行」していた。国民党が当時報道を厳しく規制していたため、敵後方の抗日根拠地に関する状況を把握できず、誤解する人が多くなっている。
国内外の記者は1944年に許可を得て、西北参観団を結成し、延安などの抗日根拠地を数ヶ月に渡り取材した。AP通信の記者だったガンサー・スタイン氏は取材後、『クリスチャン・サイエンス・モニター』に掲載した記事の中で、「封鎖線の後方で、唖然とするような活気ある新社会を発見した。5年間に渡り重慶の共産党に対する悪意ある誹謗の他に何も聞いていなかった私は、延安で目にした物事に驚き我が目を疑ったほどだ」としている。スタイン氏は1945年に帰国し、『The Challenge of Red China』を出版し、「中国共産党の作戦・努力の目撃記」という章を設けた。この章では多くの資料を用い、中国共産党の勇敢な戦いぶりを証明した。スタイン氏は、「私が目にしたすべての証拠により、延安の語る中国共産党の戦績は、重慶と西安で耳にした国民党の戦績よりも信頼できると結論付けることができる」と説明した。
UPI通信社の記者だったハリソン・フォーマン氏は帰国後、著書の中で、「雲泥の差という劣勢に立たされた共産軍の抗戦の成果は信じられないほどだ。延安で彼らの話を聞いた時、私も信用できなかった。しかし私は占領された地区を訪れ、敵後方で活動する八路軍と2ヶ月以上共に過ごした。私はこの目で彼らが敵の拠点とトーチカを奪い、破壊するのを見た。そのため私は、共産党の発言には絶対に誇張がないと確信するに至った」と強調した。
この記者団に続き、ニューヨーク・タイムズの中国特派員も現地を取材した。彼はその後、「共産軍に従い戦場に入った外国人記者は、共産軍が確かに全力で日本の侵略者に抵抗していたと証言している。多くの占領された地区にパラシュート降下した米航空隊の多くが、中国共産党の遊撃隊に救われ、彼らを感激し称賛している」と指摘した。
外国人記者の1944年の延安視察は、世界が抗戦時代の共産党の根拠地を取材した唯一の大規模な活動だった。この視察により、彼らは中国共産党が率いる抗日勢力、敵後方の抗日根拠地の実情を伝え、中国共産党の抗戦に対する国際社会の認識と評価を改めた。(筆者:中央党校党史部 盧毅)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年6月3日