シンガポールの初代首相・李光燿(リー・クアンユー)は、「日本は普通の国ではない。特別な国だ。そのことを覚えておく必要がある」と語ったという。「特別」である一つの表れは、その独特な「強者崇拝」の政治文化の伝統と価値観である。「日本を屈服させる」という発想は間違っているという学者もいる。しかし弱い中国では日本とまともに話し合うことさえできないというのも事実である。環球時報が伝えた。(文:彭光謙・中国国家安全フォーラム副事務局長)
日本文化は「理」を認める文化ではなく、「力」を認める文化である。日本では強者が崇拝される。他人の平等な付き合いには慣れておらず、強者と同盟を結ぶことが習わしとなっている。唐代盛期には、中国は文化的な強大さを誇っただけでなく、白村江の戦いにおいては、日本の艦隊を海上戦でほぼ全滅させた。日本はその後、中国を崇拝し、自ら中国から学ぼうとした。その後、大英帝国が威勢を誇るようになると、英国と同盟を組んでロシアに対抗しようとした。ドイツが強大化すると、ファシズムドイツと同盟を組み、第二次大戦の元凶となった。米国による壊滅的な打撃により、日本の「本土決戦、一億玉砕」という寝言は粉砕され、日本は逆に米国と同盟を結んだ。日本は強者を崇拝するが、強者と一緒になる目的は、強くなることを模範とし、強者の力を借りて、最後は強者を超えることにある。
このような強者崇拝の文化は、日本の歴史に根付いてきた身分制観念や「各々が本分を守る」という価値観を土台としている。さらに日本には、武力を信じ、武力を尊び、優勝劣敗・弱肉強食・実力至上を原則とする「武士道」精神もある。このような観念は、日本の社会・生活の隅々にまで浸透し、日本の対外関係をも支配している。中国の徳をもって人を説得し、正義を守り、弱者に同情し、弱い民族を尊重し、国家の大小・貧富・強弱を問わずに平等に対するという政治理念や価値観とはまったく異なる。
中国の兵法書の聖典である「孫子の兵法」は、「戦わずして人の兵を屈する」ことを最高の境地としている。だが日本ではこうした態度は恐れと取られる。日本の最初の兵法書とされる「闘戦経」においては、「孫子十三篇、懼(おそ)れの字を免れざるなり」とある。日本の兵学は「正攻法」を信奉し、強攻策に慣れ、正面からの突破をはかる。中国は、奇策によって勝利を収めることをいとわず、敵の主力を避けて手薄なところをつき、弱い所から強い所へと攻め、敵を迂回・包囲することを提唱している。こうした兵法の違いは価値観の違いを体現したものである。