次に、細菌戦は目に見えにくく、恐怖を与えやすい。多くの中国の民衆を物音も立てずに殺すことができ、名状しがたい恐怖を与えることができる。目に見えにくいということは、細菌戦が敵に発見されにくいということである。引き起こされる疾病は、自然に発生する疾病と往々にして区別しがたい。日本軍が使用した細菌兵器は音もなく、色もなく、形もなく、匂いもないもので、ごく日常的な物体に付着されたため、攻撃相手である中国の軍人や民間人を警戒させずにすんだ。恐怖を与えやすいというのは、細菌戦の様々な手段、地上散布や生体注射、空中散布、戦略的活用などの様々な方法を結合した細菌兵器の使用によって、水源や食物を細菌で汚染し、中国の民衆に恐怖を引き起こすということである。石井四郎は語っている。「細菌攻撃に適した場所に敵を誘い込んで一般攻撃をかけるというのも一つの方策である。ある米国人は私にそれだけはするなと言っている。それほど恐しいということだ」
細菌戦はまた、長期的かつ戦略的な破壊性を持つ。中国の民衆は徹底的な治癒ができず、長期的に疾病に苦しむこととなる。また細菌戦による疾病の流行の治療と制御ができたとしても、病原体は自然界と生物界に残留し、疾病が再び流行する可能性は長期にわたって存在する。この意義から言って、細菌戦は、各地区の社会の安定を破壊しただけでなく、長期的な環境汚染をも生むものとなった。細菌戦によってもたらされた直接的な身体への傷害は今に至るまで中国の民衆を苦しめている。例えば浙江省金華の一帯には、1942年の日本軍の浙江・江西作戦において炭疽菌に感染させられた被害者が今もいる。彼らには生涯にわたって後遺症が残り、現在に至るまで治癒ができず、病原菌の被害を受け続けている。また浙江・湖南両省では1990年代、かつて日本軍の細菌兵器の襲撃を受けた地区のペスト血清検査が行われたが、ペスト菌の抗体陽性例が今も見つかっている。
細菌戦はさらに、中国人民の抗日戦争の闘士を摩耗させ、衰弱させるためのものでもあった。石井四郎は語っている。「(細菌戦は)敵に巨大な精神的打撃を与え、敵国内部に広く深い攻撃を加えることができ、戦闘意志の破壊に対して政治的な絶大な効果を持つ」。大勢の民衆が細菌戦によって殺傷され、有効な予防と治癒の方法が見つからない中、中国の一般民衆は日本軍の暴威に負け、戦闘の意志を喪失し、攻撃を受け入れるしかなくなり、日本の軍国主義の殖民と奴隷のごとき酷使を進んで受けるようになるだろうとのねらいであった。