薩蘇氏によると、日本軍と西側記者の目に、八路軍は、敵陣後方の戦場においてたびたび能動的な攻撃を仕掛け、輝かしい戦果を上げる軍隊として映っていた。「動いているばかりで攻撃しない」とか「まとまりのない兵士の集まり」とかと八路軍を評価するのはまったくの中傷でしかない。
中国人民革命軍事博物館の劉中剛研究員によると、中国共産党の抗日武装勢力は装備が劣っていたため、戦闘にあたっては近距離で敵と接触する必要があり、一般的には敵中にすばやく突っ込み、戦闘を展開するという形を取った。
「このような厳しい戦闘環境にありながら、国民党政府軍の正面戦場における忻口会戦と連携した作戦過程においては、八路軍は百回余りの戦闘を繰り返し、『平型関の戦い』『雁門関要撃戦』『陽明堡空港夜襲』などの一連の戦闘で勝利を勝ち取った」。劉研究員によると、八路軍の持久抗日戦争は、揺るぎない抗日の決意の下、巨大な代価を払って行われたものだった。
薩蘇氏も、持久戦は「取るに足らない戦争」などではなかったと語る。「八路軍は平型関で日本軍全滅の先例を切り開いた。毎日新聞社は戦後、『全滅』という言葉を使い、抗日戦争の全面開始以来、日本の軍隊が中国に全滅させられたことを日本メディアとして初めて認めた」
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年9月17日