福島原発事故の発生後、原発は日本社会を不安に陥れる話題となった。各界では、原発の今後を巡り議論が続けられている。しかし日本政府による原発再稼動により、「脱原発」よりも、積み重なった放射性廃棄物の処理が差し迫った問題になっている。
しかしながら現在も、日本の放射性廃棄物の最終処理案は、依然として「難産」の状態となっている。放射性廃棄物ばかりか、汚染土壌の輸送や保管さえも、各地に断固拒否されている。放射性廃棄物の最終処理の希望が遠のいている。
地方自治体は民意と現地の実情により、責任逃避と押し付け合いをしている。国家レベルの全体的な解決が、唯一の実行可能な手段のようだ。政府は主に▽放射性廃棄物の再利用事業者の運営の強化▽放射性廃棄物の最終処理場の建設の検討――という2つの取り組みを進めている。より大局に関わる後者には、前進が見られない。日本の多くの専門家は、現在の放射性廃棄物問題の解決は、日本にとってほぼ不可能な任務だと批判している。
フィンランドは先ほど、世界で初めて放射性廃棄物の最終処理場の建設を許可し、日本の業界から注目を集めた。フィンランドは日本と異なり、放射性廃棄物を再処理するのではなく、比較的安定した地層、正常な開発に影響を及ぼさない400メートル以上の地下に埋めることを選択した。しかし日本が「フィンランド式」の処理方法を採用するのは、現実的ではない。
まず、日本の各界は埋める場所と方法の「永久の安全性」の証明を求めている。最終処理場の候補地などの問題の論証と模索が遅れているのは、この「永久の安全性」を確認できないからだ。しかしこの世には「永久の安全」を証明できる技術や施設があるだろうか?ゆえに日本は偏執狂的な「思考の悪循環」に陥っている。
次に、日本の放射性廃棄物の最終処理は、地方の理解と承認を受け難い。日本の高度な地方自治体制度により、地方政府は主に現地の住民に対して責任を持たなければならず、大胆に政府に「ノー」と言う権利を持つ。放射性廃棄物はそもそも厄介な問題であり、原発事故の教訓が加わり、政府は地方自治体の承認を得難くなっている。必要な地質調査や情報収集作業も展開できていない。
それから、日本は「民主的な議論」を経て結論を出そうとしている。日本社会の各界のみならず、与党内でも原発問題を巡りさまざまな意見と観点があり、統一が難しくなっている。放射性廃棄物の処理問題は意見の一致には程遠く、誰も相手を説得できない。止むことなき「民主的な議論」は、日本の政治家が放射性廃棄物の処理問題に責任を持とうとしておらず、永遠に議論を続けるしかないことを反映している。
安全性はさておき、原発の稼働と放射性廃棄物の処理は環境問題のみならず、エネルギー、雇用、税収、地方の活力といった問題と密接に関連している。政府がいつまでも結論を下せないのは、さまざまなやむなき原因のほか、政治家が自身の「政治的利益」を目にできておらず、この国家経済と国民生活に関する問題に真の責任を持とうと思っていないからだ。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年12月4日