さらに、最近の中国ではウィチャット(中国のLINE)で「紅包」を送ったり、送られたりすることが流行している。春節時にはそのやり取りが活発化する。年末番組の視聴もそこそこに、親も子供も親戚も、誰もがスマホで紅包のやりとりに熱中することになる。
最初は冷ややかにそれを眺めていたものだが、実際にやってみると、それが素晴らしいコミュニケーションツールであることに気が付いた。紅包はお金(電子マネー)である。お金をもらえると、それが少額であっても嬉しいものだ。一方の送る方にしても、誰かに喜ばれると幸せを感じるものである。それが繰り返されることで、人々の感情にプラスのスパイラルが生まれる。ウィチャットの紅包には、そんな感情を生み出す優れた仕掛けがあるのだ。
またこの紅包は、数人に対し一括で送ると、お金が自動的かつ不規則に分配される。ある人は多くのお金が手に入るが、ある人は少量のお金しか入ってこない。つまり、宝くじのような仕掛けになっているのだ。こうすると、たとえわずか10元を送ったとしても、送られた人は期待感を持って紅包を開くことができる。そして「返報性の原理」から、送られたら送り返す。つまり「行って来い」となるため、各自の金銭的負担も大きくならない。もちろん、運が悪いと負担が増えるし、運が良ければお金が貯まる。しかし、それは偶然の結果であるため、不満の声があがることもない。
そんなコミュニケーションツールが流行しているからではないだろうが、最近の中国では、物質主義的な傾向が鳴りを潜め始め、精神的な豊かさを追求する人がますます増えている気がする。確かに誰もが広い家に住みたいだろうし、高級自動車に乗りたい気持ちは変わらないだろう。しかし、それ以上に美しい音楽や絵画、あるいは美味しいコーヒーやお茶、または心を動かす書籍や映画といったものが、上っ面でなく本気で、人々の大きな関心となってきている。
筆者はリーマンショック後の2009年から中国に住み始め、中国の状況を眺めてきたが、このような傾向は、決して最近の中国経済減速から生じたとは思わない。経済成長を続ける中で一旦自分たちの足元を見ようという機運は、遅くとも2009年にはすでにあったからだ。やみくもに「経済」を追い求めてきたが、我々は本当に幸せなのだろうか。自分が本当に必要なものは何なのだろうか――。当時の「国学」の流行はそんな機運のひとつだろうし、コメディアンの範偉が主演する、当時大人気だったテレビドラマ「老大的幸福」もそんな世情を反映していたように感じる。
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