一年に一度、故郷に帰省して過ごすという春節の習慣には、自分のルーツである場所に戻って「足元を見つめなおす」という側面もあると思われる。その意味で、時代の変わり目における春節の里帰りは、帰省する人々にとってより有意義な機会となることだろう。
ではここで、中国の人々に換わって筆者が、中国人が足元を見つめなおした場合の未来を――余計なお世話だろうが――考えてみたい。そのためには、唐突だが台湾について語る必要がある。
日本では台湾のことを「癒しの台湾」と表現することがある。なぜ台湾が癒しと結びつくのか。その理由は色々あるのだろうが、筆者なりにその理由を言葉で表現すると「下駄を履かないことの幸せ」となる。
中進国型経済から先進国型経済へとギアチェンジした台湾は、IT産業を中心として発展する「勝ち組」経済体のひとつである。にもかかわらず、台北の中心地であっても古臭い建築が(もっと直截的に言えばボロい建物が)少なくない。そしてそんな建築が並ぶ路地に入ると、歩く人々の動きもどこかおっとりしている。
先日訪れたその路地には、喫茶店がぽつんとあった。店には年配客が数名いた。筆者は路地に面した席に腰を下ろし、コーヒーを頼んだ。思いがけなく、サイフォン式で作られたそのコーヒーは恐ろしいほど旨かった。職人気質の店主なのだ。そして心がすうっと癒されていくのを感じた。
筆者は思った。建物が古臭いままなのは、きっとわざとなのだ。背伸びはしない。つまり下駄は履かない。もしインフラを下手に高度なものにすれば、それを維持するために身の丈以上の背伸びをしなければならないではないか。最低限のインフラだけあれば良い。若者よ、挑戦せよ。失敗して無一文になっても、またここに戻って一からやり直せばいい。ここで暮らすのに、金は大してかからないのだから。ほら、美味しいコーヒーでも飲めよ――。そんな声が聞こえてくるようだった。
これをみた筆者は、ソフト面を考えず、ただハードだけを発展させても、人を不幸せにするだけなのではないかと思うようになった。逆にいえば、別に超高層ビルがなくても、人の心を豊かにさせるソフトがあれば十分幸せである。また、金のかかるインフラよりも金のかからないインフラのほうが、セーフティネットの充実につながり、人々は安心してチャンスに挑むことができる。過度に守るべき資産が少ないことから、外部からの侵入者に対する包容力も増すはずだ。そんな社会は、普段「中流」から脱落しないように仕事に熱中している日本人にとっては、その包容力も相まってまさに「癒し」の場所である。
ハードよりもソフト。その意味では、いま中国政府の掲げる、過度な成長を戒める経済成長戦略は確かに正しい方向性だと思える。そして中国の人々の思いも、そのような方向性と合致しつつあると想像する。この春節で帰省した人たちが、足元を見つめなおし、「下駄を履かないことの幸せ」を考え、ハード的なものよりもソフト的なものの充実を目指す――。そんな人が増えれば、中国はよりよい社会になっていくのではないだろうか。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年2月15日
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