彼らの後を追う日本軍も、この道の険しさを記録している。「この高地は狼牙山で最も険しい所であり、断崖を数メートル上るのは天を上るより困難である」。宋学義氏の回想でもこの道が「まっすぐに切り立った岩壁」と述べており、符合している。さらに日本軍は、八路軍が「断崖で必死に抵抗」し、両軍で「手榴弾戦」が展開されたと記載している。そして、八路軍は「断崖の下に墜落した」と記録されている。
「日本軍の戦史記録と中国側のそれは主な内容が合致している。五壮士は誤って崖に落ちたのではなく、自分の意思で崖に向かって行ったことを、中日両国の資料が証明している。彼らが絶壁を上ることを選択したのは、敵を牽制するためだったのだ」と胡卓然氏は述べる。
また同氏は「日本側の史料は日本軍の視点で書かれている。時間、地点、作戦の詳細は、中国側の史料を傍証するものとなっている。“狼牙山五壮士”の物語が事実であることが確認されたのみならず、壮士たちが殉死する前の詳細な戦闘についても明らかになっており、大きな価値を持つ」と付け加えた。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2016年7月1日