同じ仕事とはいえ、多くの差がある。森田さんは、「日本の建築に関する制度は明確で要求も高いが、中国では融通をきかせなければいけない場合が多く、その点で苦労した」と話す。さらに、中国の若者の育成という新しい任務も加わった。数十年の経験、何ができるか、何ができないか、どのようにするかを彼らに教え、取引先の多くが日本企業であるため、簡単な日本語とビジネスマナーも教える。それだけでなく、週末には日本留学を考えている子どもたちの勉強も手伝っている。
定年退職後に中国で仕事をするには2通りの方法がある。1つは、インターネットでの応募、もう1つは中国の知人を通じた紹介である。斎藤実敏さんは2つ目の方法で中国に来た。
今年71歳の斎藤実敏さんは大連遠東数碼有限公司で顧問を担当する。この「顧問」はやや忙しく、日本市場拡大のための企画を出したり、日本の取引先を接待したりするほか、中国人従業員に日本語とビジネスマナーも教えなければいけない。
斉藤さんは卒業後に日立製作所でソフトウェア開発に従事し、第一線と管理職で多くの経験を積んだ。定年退職の年齢になった2006年、彼は中国企業に目をつけた。斉藤さんによると、中国のソフトウェア会社の社長自らが日本を訪れ、話をしてくれた。当時、この中国人社長は日本市場を拡大することが夢で、「力になって欲しい」、「明日にでも来てもらいたい」と言っていた。説得され、約束通り翌年にこの会社に行き、3年後に更なる発展を求めて現在の会社に移ったという。「中国に来る前、妻に1~2年体験したら戻ると言ったのに、もうすぐ10年になる」と笑いながら話す。