この10年で斉藤さんは中日関係の最高潮と最悪期を経験した。「民間方面で、私はできる限りの貢献をしてきた。普段は中国人の同僚と一体となり、心を一つにして協力し合い仕事をしている。また、テニスクラブを開設し、週末は中日両国のテニス好きを集めてテニスを教えている。中国のテニスクラブからもコーチを頼まれ、生徒の多くが日本語のできる中国人。もう中国人、日本人という感覚はなく、みんな家族のようだ」と斉藤さんは話す。
中国で貢献する日本のエリート退職者に関する公式データはなく、互いの交流も少ない。ほとんどが「仕事のある場所に行く」という状況で、その多くが沿岸部や、深セン市、東莞市、広州市、上海市、蘇州市などの南部である。彼らは中国で楽しく働き、生活している。唯一の問題は、言葉が通じず、レストランでの注文が不便なことや、食事に慣れないことである。
森田さんも斉藤さんも、日本に帰る予定はないという、森田さんは、「同じ仕事でも、中国での給料は日本の半分。普通の日本人は日本で働き続け、海外に行く人は少ない。しかし、中国は私にとって第2のふるさと。まだ中国に残りたい」と話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年12月19日