「14年の抗戦」、単なる新概念にあらず

「14年の抗戦」、単なる新概念にあらず。

タグ: 抗戦 8年 14年

発信時間: 2017-01-12 16:00:38 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

多くの人、特に最近の若者は「8年の抗戦」について話す際に、次のような疑問を持つだろう。1937年の盧溝橋事件が全国民による抗戦の幕を切って落とす前に、日本の鉄蹄はすでに中国の東北三省などを長年に渡って踏みにじっていた。特に1931年の九一八事変(満州事変)後、日本の侵略者はさらに全面的な中国侵略戦争を発動し、中国に続々と兵を送った。日本軍は1936年、東・西・北から北平(現在の北京)を包囲していた。この期間中、現地で暮らしていた中国人は、亡国の民に甘んじようとしていたのだろうか。ほんの少しの抵抗もなかったのだろうか。

筆者を含む当時の歴史を経験したことのない多くの中国人は、「8年の抗戦」という歴史的な概念を誤解している。実際には1937年に全国抗戦の局面が形成される前、東北地区の一部地域の団体と人々による、自発的な抗日活動が続けられていた。誰もが知る民族抗日英雄の楊靖宇は、1932年に党中央委員会の指示に基づき東北地区で抗日連軍を結成し、東北地区の軍民を率い日寇と血みどろの奮戦を展開した。しかしこの時期にはまだ全国的な抗日の局面が形成されていなかった。盧溝橋事件後にようやく全国抗戦となったため、全国民による抗戦の時期は1937年からとされた。実際には1931年の九一八事変後、日本の中国侵略のその時には、すでに中国の抗日の狼煙があがっていた。

「8年の抗戦」は国全体の戦い、全国民が団結・一致し侵略者に反撃する国を守る戦争だ。それまでの6年間に渡り、日寇に侵略された東北地区の一部地域では、わが党による抗日連軍遊撃隊のほか、民間の自発的な抗日武装勢力さらには個人が、国を守るため抵抗していた。この「分散的」な抗日行動は、中国を全面的に侵略しようとする日寇の野心を揺るがすには至らなかったが、全国民が団結し抗日する導火線に火をつけた。

「14年の抗戦」の概念を全面的に認識する。これは単なる概念の更新ではなく、実務的な観念の変化であり、侵略への民間の自発的な抵抗に対する「国の態度」でもある。これは未来の偉大なる中国の夢を実現する上で、並々ならぬ積極的かつ現実的な意義を持っている。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年1月12日

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