新入生が入って来るたびに、石川果林が投げかける質問がある。「あなたは何のために日本語を勉強するんですか」
以前の学生は皆、両親に言われたからだとか、仕事を見つけるのに有利だからだとか答えたものだ。最近は、アニメや漫画が好きで、直接わかりたいというような学生が多い。
この質問をするのは石川だけではない。だが石川によれば、この質問は時にまったく違った意味を持つ。「私がそう聞くのは、学習の動機と目標を知るため。でもある人は『そんな敵の言葉をなぜ勉強したいんだ』という意味で聞く」
「もし子どもがいつか、歴史は本当はどうだったんだと聞かれても、私には答えられない。本当のことは自分でしか見つけられない」。これが石川とその家族が負っている圧力なのだ。
石川は、子どもがいつか、見知らぬ国に仕事に行って2年ほど暮らし、また帰って来てこの問題を考えればいいのではないかと思っている。
2017年の正月、兎澤和広は大阪に一度帰った。中国に来てから24年。正月を日本に帰って過ごすのはこれが最初だ。大阪は前よりも人が減り、和服で正月を過ごす人もいなくなり、中国のようににぎやかでないなと感じた。
日本に帰ってニュースを見る時は、中国に関する報道が気になる。兎澤自身は、「中国と日本は関係を改善し、アジアは一致団結すべし」という呼び声が高まっていると信じている。「中国と日本はこれからもっと近くなる」
大阪の地下道が地下都市のように発達しているのを見て、南京を思い出した。「新街口の世界貿易センターから中央商場までは直線距離で100メートルくらいだろうが、上ったり下ったり、トンネルに行ったり大変だ。地下通路でつなげてしまえばいいんじゃないか?」
正月を3日間日本で過ごして、また南京に帰って来た。南京を離れるつもりはない。
「人が存在しているということは、世界がそれを求めているということだ。自分は南京にいる。つまりここには自分を必要としている人がいるということだ」。兎澤は南京で、24時間携帯をオンにしている。南京にいる日本人が病気になって医師の紹介を頼んできたり、トラブルの調停役を務めたり、ビザの期限が切れたという人が夜中にあわてて電話をかけてきたり、何かというと呼び出される。
兎澤は今でも、自分が南京に来た日付をはっきりとおぼえている。1993年3月10日だ。
一晩中列車に揺られて到着し、南京駅から飛び出して、街を見回した。空は青く、雲は白い。「金陵の明珠」と呼ばれる玄武湖には太陽の光が照っていた。
地図を広げて、目的地が湖の向こう側であることに気付いた。当時まだ中国語が一言もできなかった兎澤は、心の中でつぶやいた。「泳いで行ってやろうか」と。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年2月3日