米サンフランシスコ市のセント・メリーズ・スクエアに今年9月、慰安婦の記念碑が設置される。記念碑は、手を携えた3人の少女が円柱に立ち、老婦人がそばでそれを見上げているというデザイン。3人の少女はそれぞれ中国と韓国、フィリピンの当時の慰安婦を表し、老婦人はまだ健在の少数の慰安婦を表しているという。米国の主要都市に慰安婦記念碑が設立されるのはこれが初めて。2015年7月に議案が提出されてから、今年2月6日にサンフランシスコ芸術委員会が記念碑碑文を全会一致で採択するまで、日本側は幾度にもわたってこれを妨害した。現地の日本人街のリーダーなどにも働きかけ、「汚いこと」もしたという。今回の成功は、現地の各民族の住民、とりわけ数人の中国系住民の奔走や努力と切り離すことができない。『環球時報』記者はこのほど、サンフランシスコ市に赴き、議案の提出者と主な推進者を取材した。
日本人が「彼女は売春婦だ」と主張
「サンフランシスコでの慰安婦碑設置でこれほど苦労するとは私たちも考えていなかった」。『環球時報』は2月中旬、複数の民族の住民からなるサンフランシスコの団体「慰安婦正義連盟」(Comfort Women Justice Coalition)の責任者を務める郭麗蓮と鄧孟詩を、慰安婦問題をめぐって取材し、数々の印象深い話を聞いた。二人とも中国系で、退職した元判事である。記念碑の設立のため、これまで一年以上にわたって奔走して来た。
話が持ち上がったのは2015年だ。同年7月、中国系アメリカ人でサンフランシスコ市会議員の馬兆光(エリック・マー)が、公共の場所への慰安婦記念物の設立に向けた議案を提出した。「この時期の歴史を忘れるべきではないと考えた」。馬兆光は記者の取材に対し、「議案提出には、祖母と『南京大虐殺賠償請求連盟』の影響もある」と語った。
馬兆光の祖母は南京に生まれた。米国に来たのは100年以上前で、南京大虐殺を経験したわけではない。だがこの時期の歴史を知っており、馬兆光は幼い頃、その話を聞いていた。また議案提出まで5年間、馬兆光は毎年、「南京大虐殺賠償請求連盟」が12月にサンフランシスコで開く「南京祭」のイベントに参加していた。「人々が毎年集まって過去の歴史についてともに考えるこの活動は、悲しいと同時に、活力にも満ちており、私に大きな影響を与えた」
議案を提出してから、さまざまなトラブルに見舞われることとなった。「議案を推進するには、サンフランシスコ市議会で採択されなければならない。この一歩がとりわけ困難だった」と馬兆光は語る。郭麗蓮と鄧孟詩も同じように感じている。この議案が提出されてから2月初めの記念碑碑文が採択されるまで、人為的な「トラブル」が相次いだ。