「彼らは『汚いこと』もやった」
馬兆光氏
米国には日本人街が3カ所ある。そのうちサンフランシスコの日本人街は最も古く、最も広い。市議会議長のロンドン・ブリードの選挙区でもある。慰安婦をめぐる戦いは自然、1度や2度の公聴会では収まらなかった。
「最大の挑戦は、市議会と日本領事館からやって来た」。馬兆光が『環球時報』に語ったところによると、日本総領事館は裏で、ブリード議長の説得工作を進めた。李孟賢市長は当初、この議案を支持していなかった。「私の主な仕事は、11人の議員の支持を勝ち取ることだった。困難だったのは、日本総領事館と日本人街のリーダーがいずれも、この提案は日本への人々の反発を招き、米日関係を損なうと主張したことだった」
「『慰安婦』は存在しない」「日本政府と日本人を攻撃するな」といった憎悪や脅しの手紙を馬兆光は数多く受け取った。「私自身が日本政府からの圧力を直接受けたことはない」と馬兆光は語る。「彼らは私にとても友好的で、会うこともよくあった」
だが馬兆光は取材の途中、「日本政府は狡猾だ」と3回繰り返した。「日本総領事館は狡猾だ。表面的には何でもないような顔をしながら、何本も電話をかけていた。(市議会)議長の事務所も何度も訪れた。日本人街のリーダーを利用して『汚いこと』もやった」
馬兆光の知人である日系アメリカ人のエミリーも利用された一人だ。「日本人街の一部のリーダーと、私は長年仕事をともにしてきた。エミリーもその一人で、知り会って30年余りになる良い友達だ。だがこうした人々もやはり、日本総領事館のために『汚い活動』をした」。馬兆光によると、エミリーは、議案中のすべての「日本皇軍」と「日本政府」の記述の削除を求め、「日本軍隊」や「日本政府」といった言葉は使うべきではないと主張した。「一部の政治家は、日本総領事館の言う通りに文言を削除し、記念碑設立の進展を阻止しなければ、両国関係に影響が出ると心配するようになった」。実際、何人かの議員から、議案の文面の修正を要求された。「だが事件の主体についての記述を削除すれば、記念碑の意味がなくなる」