左は郭麗蓮氏、右は鄧孟詩氏
2015年9月、慰安婦記念碑の運命を決める公聴会がサンフランシスコ市庁舎で行われた。サンフランシスコ上級裁判所の判事だった郭麗蓮(郭はカリフォルニア州史上初の女性中国系判事として知られる)はこのため、公聴会の1日前に、32年にわたる裁判官人生に区切りをつけた。判事のままでは政治活動に参加することはできないからだ。すでに退職していたが、裁判所に再雇用されていた鄧孟詩も、仕事をやめた。
だが郭麗蓮は「後悔していない」とは語る。「裁判所にいた頃、強姦事件はすべて犯罪であり、犯人には謝罪と賠償、収監が求められた。日本政府は慰安婦について、今になっても正式に認めず、謝罪もしていない。長年判事を務めた私たちは、これに対して正しいことをしなければならないと考えるようになった」
公聴会には400人近くが参加した。「慰安婦正義連盟」に加わる40余りの各民族団体や、韓国系・日系・フィリピン系・ユダヤ系のコミュニティが参加した。反対派も参加しており、日本からこのためにサンフランシスコに飛んできた人もいた。
鄧孟詩が最初に発言し、続いて反対派を含む約200人が発言した。最後に発言したのは郭麗蓮だった。だが公聴会で最も注目を集めたのは、87歳の韓国人元慰安婦の李容洙だった。サンフランシスコの韓国系コミュニティの招きを受けてサンフランシスコに来た彼女は、公聴会で韓国語で自らの悲惨な過去を語った。
記者もこの公聴会に出席したが、一年余り経った今も、公聴会の激しい様子を思い出すと、胸の高まりをおぼえる。李容洙が話し終わった後、一人の日本人が英語で、「彼女は『慰安婦』ではない。彼女は売春婦だ!」と主張し始めた。ある議員はこれに対し、続けて3度、「恥を知るべきだ」と批判した。元議員で著名な社会活動家のエイモス・ブラウンもいたが、郭麗蓮は、「(反対の立場の)ロンドン・ブリード議長と親しい関係にあるので、支持を得られるかわからなかった」と語る。「李容洙らの話を聞いた後、ブラウンは言った。『我々黒人は、誰にも指図されることなく、何を言うかを決める。私は今、支持することを選択する』」。
馬兆光は語る。「李容洙がいなければ、决議が採択されることはなかった。彼女がやって来て、自ら語ったことが、(市長の)李孟賢(エド・リー)と夫人の考えを変えた」。11人のサンフランシスコ市会議員は9月22日、記念碑設立の議案に全会一致で賛成票を投じた。