2011年3月11日、日本ではマグニチュード9の地震と津波が発生し、福島第一原子力発電所は爆発して深刻な損傷を負い、大量の放射性物質が漏れた。今年でちょうど6年が経過したが、地震の「余波」はまだ収まっておらず、多くの人の生活はこれによって根底から変わってしまった。
英ロイター社の記者は人々に、こんな情景を描いてみせた。現地ではこの6年で、多くの主婦たちが、放射性汚染を測定するパートタイムの実験員へと変身した。彼女らは、幼い子どもが放射線への被ばくで不治の病にかかるリスクを最低にするため、あらゆる手段を尽くそうとしている。
「見えない敵」
福島第一原子力発電所から車で1時間ほどの実験室では、白いマスクをした女性が新鮮なイチゴを容器に詰め込み、食品の放射線検査を準備していた。
いわき市は福島県南部の都市で、退避指示の出た福島第一原発の30キロ圏の外にあり、放射線値は福島県のほかの地方よりも低い。だが3月11日の大地震の発生後は、いわき市も、放射線による被害を避けるため外出をひかえることを市民に勧告していた。
地震発生から6年が経ったが、放射線という「見えない敵」は今も、いわき市の母たちに不安を与えている。そのため現地の実験室では、科学的な背景を持たない主婦が実験室でパートの実験員となり、食物や水、土壌の放射線値を検査する任に当たるという情景が生まれているのである。
「由々しき事態」
「大学で実験データを処理しているのは、資格を持った学生だ。彼らは試験に合格し、放射線値を検査する資格と能力を持っている。しかしここではパートのお母さんたちがその仕事をしている。もう由々しき事態だ」。この公益事業の責任者である鈴木香織さんは、実験室での仕事の情景について笑ってそう語る。「もし大学の先生がこれを見たら、びっくりするのではないだろうか」
鈴木香織さんは、一般人は放射能についての知識がないが、「怖いということだけは知っている。(中略)放射能というのは、見えない、臭わない、痛みも感じない汚染なので、対処するにははかるしかない」と語る。