清水正夫がくれたチョコレート
著名な音楽家で監督の尹建平と松山バレエ団との縁は1975年にまで遡る。
この年、19歳だった尹建平は、北京芸術団に付いて日本を訪れる機会があった。芸術団を迎え、最後まで付き添いを務めたのが、松山バレエ団の創始者で団長の清水正夫だった。
尹建平によると、清水正夫は歓迎のパーティーでまず、「私は中国を最も愛する日本人だ。中国文化を最も愛する日本人でもある。さらに中国人民に謝罪をしたいと思う日本人でもある」と言った。「この3つの言葉は我々の団員すべてに衝撃を与えた」
清水正夫の中国への愛は、その後の事実が物語っていた。清水は、中国の役者の食事や宿泊、体調について毎日尋ねた。大阪で尹建平が突然胃炎になった時には、片手に薬、片手にお湯の入ったコップを持って舞台のわきで待ち、尹建平が舞台を下がるとすぐに薬を飲ませてくれた。
清水正夫は、尹建平が踊る姿はまるで息子を見ているようで、特に世話を焼きたくなるのだと語ったという。
「公演が終わる度、清水正夫氏はこっそり私にチョコレートをくれた。チョコレートは甘く、心まで溶かした」と尹建平は語る。「代表団が日本を離れる時には、一人ひとりにプレゼントをくれた。私には小さな目覚まし時計を手渡し、また日本にいらっしゃいと声をかけてくれた。42年が過ぎたが、あの目覚ましはまだ大切にしている」
バレエ用の布の贈り物