南京に住む日本人の竹内亮氏が監督・製作した中国語のドキュメンタリー「我住在這里的理由」(私がここに住む理由)は、ネット上で1億回以上のアクセスを集める成功を収めた。だが竹内氏に言わせればこの作品は、「台本なし・流儀なし・資金なしの“三ない作品”」なのだという。
南京市中心部にあるスタジオで流暢な中国語で新華社記者を迎えてくれた竹内氏は、くしゃくしゃの髪と薄いピンクの格子柄シャツ、濃い目のピンクの短パンの38歳のおじさんだった。(以下敬称略
(竹内亮氏、南京市で。写真は氏提供)
「相互の理解と尊重でこそ中日友好は築ける」
竹内は2010年、日本NHKのドキュメンタリー『長江』の撮影で中国にやって来て、撮影班を率いて青蔵高原から一路東へ上海までを長江に沿ってたどり、その風土や人びとの様子を記録した。
「内陸部のある人は私に会って『小日本が来た』と言った。『高倉健や山口百恵はまだ健在か』と聞く人もいた」と竹内はその旅を振り返る。「中国人の多くの日本への見方は前世紀のままだ」と思ったという。
竹内が、日本の今を中国人に伝えるドキュメンタリーを作ろうと思ったのもそれがきっかけだった。「日本の文化や生活を中国人に紹介しよう」。竹内はそれまでしていたのは、日本人に中国を紹介する仕事だった。
「中日友好と言葉だけで言っていてもしょうがない」。竹内亮は中国語で自分の考えを伝えようと苦心しながら言う。「相互に理解し、相互に尊重してこそ、友好を築くことができるんだ」
竹内の中国の理解は、中国の各地を訪れた2010年の撮影によって形作られたものでもあるし、伴侶となった中国人の妻を通じて得られたものでもある。中国でドキュメンタリーを撮ろうという竹内の考えに、家族は最初は乗り気ではなかった。二年間説得して、夫婦二人は、日本での安定した仕事と生活を捨てて、一家そろって中国南京に越して来た。
「日本人の多くの友人は最初、歴史のことが原因で殴られたりするんじゃないかと心配していた。でも自分は何度も南京に来たことがあるし、そんな心配をする必要はないとわかっていた」。竹内はこの都市が好きだった。
竹内は、南京に住み始めた最初の年にすぐに、南京大虐殺の犠牲者のための国家追悼式に参加した。「日本の教科書は、南京大虐殺について一行しか記していなかった。でも自分の歴史の教師は2時間を使ってこれについて教えた。私はだから、この歴史に深い印象を持っていた。良い教師に出会うことができた」
「日本のある有名大学の学生が先日、南京に遊びに来て、私の会社も見学して行った。しかし南京大虐殺の歴史のことはほとんど知らないのだと言っていて、愕然とした。日本の教育には問題がある」
「中国人はカメラを向けても個性を失わず、真実らしい」