ロシアのRIAノーボスチは8日、「クリル諸島のマトゥア島、ロシア太平洋艦隊の新基地になるか」と題した記事を掲載した。要約は下記の通り。
ロシア国防省とロシア地理学協会がクリル諸島(千島列島)のマトゥア島(松輪島)に第2陣として派遣した調査隊は8日、ドヴォイナヤ湾から上陸した。太平洋艦隊の艦艇は100人以上の軍人と学者、30点の技術装備を輸送した。
国防省はマトゥア島に太平洋艦隊の艦艇の港を建設し、空港を再建する計画を発表していた。セルゲイ・ショイグ国防相は「再建を検討しているが、再建だけではなく、この島を積極的に開発する」と述べた。
国防相調査センター、地理学協会、海軍は6-9月にかけて、同地域の地図を作成し、サルィチェグ火山、水文地理、海底の大陸棚の状況を調査し、さらに沖合の海洋生物図を作成する。マトゥア島の面積は52平方キロメートル未満だが、これほど注目を集めていることには理由がある。
海軍はクリル諸島に港を建設する可能性を模索する。長距離航空兵もこれに興味を持っている。マトゥア島での2回の調査は、工期の確定を目的としている。大規模な新海軍基地、太平洋艦隊の物資・技術支援基地の建造を終える前に、それを完了しなければならない。1回目の調査は2016年5-7月に行われた。
マトゥア島はクリル諸島中部に位置し、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーから670キロ、日本の北海道から740キロ離れている。行政上は、サハリン州の管轄下に置かれている。第二次大戦中、マトゥア島は日本最大の海軍基地の一つだった。島の原住民は狩猟生活を送るアイヌ人で、1875年に日本の軍人から追い払われた。ソ連国境警備隊が1945年にマトゥア島に駐留し、その後は防空部隊が駐留した。マトゥア島の軍事施設は2000年に封鎖され、その後15年間は無人島となった。
マトゥア島は海の砦に似ている。登ることの出来ない切り立った崖、過去の軍事施設により厳重に守られている。日本が建造した道路、軍用空港の滑走路、用途不明の広い地下建築物の保存状態は良好だ。
マトゥア島南西部には、艦艇の停泊に用いやすい、安全な海峡がある。日本人の埠頭はここにあった。マトゥア島は1930年代より、日本人がカムチャツカに拡張するための飛び板になった。ロシア連邦空挺兵は1945年8月、抵抗力をほとんど失った日本人を発見した。投降した3800人の兵士・将校は2000丁の銃を持っており、パイロット、船員、砲兵はほとんどいなかった。特殊な地位を占めるマトゥア島には、現在も多くの秘密が隠されている。