母親が経験した苦しみについて語る、南京大虐殺の生存者である故李秀英さんの娘・陸玲さん。
「皆さんこんにちは。私は陸玲といいます。南京大虐殺の生存者・李秀英の娘です。今日は、母親の生前の願いを果たすためにやって来ました。母親が経験した苦しみについて話したいと思います」。日本時間13日午後6時半、熊本の市民会堂で、陸玲さん(76)が、母親の李秀英さんが南京大虐殺の際に経験した苦しみについて語った。同報告会は熊本県日中友好協会が主催し、南京大虐殺の生存者を母親に持つ陸さんや南京民間抗日戦争博物館の呉先斌館長が招きに応じて出席し、報告を行った。現代快報が報じた。
減少する一方の生存者 歴史をその後代が語る
同イベント開始前、陸さんは取材に対して、「訪日は今回で3回目。以前は母親に付き添って来ていたが、今回は母親の代わりに語ることになった。1997年に初めて日本に来た。その時は、訴訟に参加する母親に付き添ってきた。その時、母親が、『日本があの歴史を認めるまで、私は話すことができなくなる時まで、ずっと語り続ける。私の子供も語り続ける』と言っていたのを覚えている。2004年に母親が亡くなり、私が母に代わってあの歴史について語るようになった」と話した。
南京大虐殺の被害者の後代である陸さんは、「母親が経験した苦しみや南京大虐殺について世の人に語る責任がある。多くの日本の一般の人は良心的。私が日本に来た時も何度も良心ある人に遭遇している。以前、母親が報告するのについてきた時、ある背の高い日本人の青年が母親の話を聞いて、涙を流しながら母親に向かって土下座し、『今までその歴史について知らなかった。それを知った今、前世代の人が犯した過ちについて、お詫びしなければならない』と言っていた。歴史を記憶にとどめるというのは、憎しみを増すためではなく、平和を願っているから。母親が経験したことを語るのも、平和のため」と語る。
数日前、南京大虐殺の生存者である王学余さんがこの世を去り、登録されている生存者は100人だけになった。呉館長によると、「大虐殺の生存者が減少しており、あの時の記憶の継承は全て生存者の後代頼りになっている。南京大虐殺の生存者の後代のうち、日本に行って報告を行ったのは陸さんが初めて」だ。