今年は南京大虐殺80周年で、中日共同声明発表・中日国交正常化45周年だ。中日友好を記念し、若い世代に戦争の歴史の真相を伝えるため、南京民間抗日戦争博物館の呉先斌館長は民間訪問団を率い日本の広島を訪れ、現地の友好団体と「閉ざされた記憶—ノーモア南京展」を開催した。7月16日午後、「広島・南京をむすぶ平和友好のつどい」の「戦争の記憶を継承しよう」座談会が広島で開催された。南京大虐殺で生き残った李秀英さん(故人)の娘である陸玲さんが、母の経験を語った。第2次大戦で毒ガス生産に従事した藤本安馬さんも現場に駆けつけ、自らの経験にもとづき戦時中に日本の軍人が何をしたかを伝え、毒ガスの被害者に謝罪した。
藤本さん(91)は大久野島毒ガス工場の元工員で、第二次大戦中に毒ガスの生産に従事した。藤本さんは同日の座談会で、自らの経験にもとづき戦時中に日本の軍人が何をしたかを伝えた。藤本さんは正式に講演する前「1937年12月に南京が陥落すると、日本の軍人は血なまぐさい虐殺を行った。今年は南京大虐殺80周年であり、南京大虐殺の死者に哀悼の意を表する」と話した。
藤本さんによると、1941年に大久野島毒ガス工場に入った際に、当時の宣伝の影響を受け、軍国主義の思想にすっかり洗脳されていたという。一日も早く戦争に勝つため、養成校で必死に学習した。「私が作った毒ガスは、中国人の虐殺に使われた。私は絶対に忘れない、忘れれば歴史を証明する機会を失うからだ」