中日の相互信頼の「ジェネレーションの崖」をいかに越えるか

中日の相互信頼の「ジェネレーションの崖」をいかに越えるか。1990年代以降、中日間の経済関係は急速に発展したが、「井戸を掘った」人々は次々にこの世を去り、中日間の相互信頼は「ジェネレーションの崖」に直面している…

タグ:信頼 歴史 体験 観光客

発信時間:2018-01-02 11:03:38 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日中協会理事長の白西紳一郎氏が今年10月に死去したことは、多くの人を残念がらせた。両国関係はここ数年というもの、困難に陥ってきた。だがいかなる場合でも、白西氏は現代中国の揺るぎない理解者であり続けた。中国と日本が今、大いに必要としているのは、二つの文化の橋渡しをする白西氏のような人物だ。我々は今日、さらに未来にわたって、白西氏やその他の「井戸を掘った人」を真剣に理解し、継承していかなければならない。環球時報が伝えた。

中日国交正常化の前には、友好団体が中日両国を結びつけた。日中友好運動は、党派を超え、イデオロギーを超えた国民運動となった。だからこそこの運動は、日本社会に長期にわたって根付くことができた。あの時代には、日本の多くの民衆が素朴に、「日中は再び戦ってはならない」という信念を抱いていた。それこそがこの運動を推進した最小限綱領であり、両国と国際社会にとっては神聖と言える綱領となった。

今日、中国と日本はいずれも、1950年代のようなカリスマ的な民間運動のリーダーを欠いている。あの時代には、東京と北京を往復するにも数日を要した。だが彼ら民間のリーダーらは、幾多の苦労も顧みず、両国の友好の橋渡しをした。その時代を経て、中日間には1972年以降、4つの政治文書が調印された。だがこれらの制度をもってしても両国関係の悪化を止めることができないのはなぜなのか。「人能弘道、非道弘人」(人が道をひろめるのであり、道が人をひろめるのではない)という昔の言葉がある。我々は、紙の上のものにだけ頼っていてはならず、生き生きとした内容をそれに注ぎ込まなければならない。

中日の相互理解は、情熱をもって使命を遂行する人によってこそ促される。1980年代には、3000人の日本の若者が中国を訪れた。それが残したすばらしい感動は今でも日本社会に生き続けている。彼らの受け入れを担当した中国側の人員もその後、各自の分野で中日交流に貢献した。30年余り前のあの感動を今、どうすれば取り戻すことができるのか。熱意のある若い世代を中日友好のために獲得するにはどうすればよいのか。

1990年代以降、中日間の経済関係は急速に発展したが、「井戸を掘った」人々は次々にこの世を去り、中日間の相互信頼は「ジェネレーションの崖」に直面している。

1  2  >  


TwitterFacebookを加えれば、チャイナネットと交流することができます。
中国網アプリをダウンロード

日本人フルタイムスタッフ募集    中国人編集者募集
「中国網日本語版(チャイナネット)」の記事の無断転用を禁じます。問い合わせはzy@china.org.cnまで