東日本大震災の7周年を迎えた日本では連日、追悼活動が各地で行われている。2011年3月11日、大地震とそれによって引き起こされた津波が日本の東北地方を襲い、1万5895人が死亡し、2539人が行方不明となった。被災地の人々のたゆまぬ努力の下、宮城県と岩手県、福島県の3被災県の復興はいくらか進展したが、歩まなければならない道はまだ長く、福島の原発事故もまだ暗い影を落としている。
日本復興庁の統計によると、2011年の東日本大震災後に避難生活を強いられた人は一時約47万人に達し、現在もまだ7万3349人が避難を続けている。狭い仮設住宅で暮らさなければならない人も少なくない。広く快適な普通の住宅にできるだけ早く移りたいと思っても、各種の原因から、彼らは7年経った今も、仮設住宅から恒久住宅に引っ越す避難生活を続けている。
「私くらいの年齢になると、引っ越しは大きな負担になる」。岩手県陸前高田市に住む82歳の松野昭子さんは地震後、高校のグラウンドに建てられた仮設住宅で一人で生活してきた。現地自治体は、居住者が減少した仮設住宅地は閉鎖し、ほかの仮設住宅地と合併する。松野さんが7年暮らした仮設住宅もまもなく閉鎖となる。3月末までに2キロ離れた別の仮設住宅地に転居しなければならい。
日本政府は地震後、巨額の資金を投入し、津波で破壊された町の復興にあてた。だが多くの町は、帰ってくる人の数が少なすぎ、無人の町と化している。「読売新聞」の報道によると、岩手、宮城、福島3県の沿岸部の35市町村の人口は17万以上減少した。また共同通信の統計によると、岩手、宮城、福島3県沿岸部の再整備エリアの私有地のうち、少なくとも116ヘクタールで土地の用途が決まっていない。