慰安婦ドキュメンタリー映画「「二十二」の監督:彼女らは歴史を忘れていいが我々は忘れてはならない

慰安婦ドキュメンタリー映画「「二十二」の監督:彼女らは歴史を忘れていいが我々は忘れてはならない。

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発信時間:2018-04-04 10:09:55 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

新青年|《二十二》导演郭柯:那段历史她们可以忘记,但我们不能-新华网


 ドキュメンタリー映画「二十二」の郭柯監督は昨年11月21日、清華大学の「文新フォーラム」に参加し、自らが「二十二」を創作した過程とそれを通じて感じたことについて語った。


 昨年末、中国大陸部で生き延びた22人の「慰安婦」の経験を背景としたドキュメンタリー映画「二十二」が興行収入の奇跡を起こした。作品の社会的価値はとりわけ幅広い称賛を受けた。新華社はこのほど、ドキュメンタリー映画「二十二」の郭柯監督を、「彼女らを覚えておくことこそ歴史を覚えること」と題した講演会に招き、ドキュメンタリー映画の背後の物語を語ってもらった。以下、講演の一部を掲載する。


 私は2012年、微博(ウェイボー)である文章を読んだ。「慰安婦(制度の被害者、以下同様)」に関するもので、ある「慰安婦」とその日本人の息子の話が書いてあった。その「慰安婦」の老人が韋紹蘭さんだった。あの年、私は半年の時間をかけて、北京と桂林の2つの場所で4回にわたって韋さんに会い、交流を深めた。

われわれはその後、短編ドキュメンタリー「三十二」を撮影した。この短編の完成後、二人の老人に対して私は新たな認識を持つようになった。われわれは以前、「慰安婦」(制度被害者)に、苦難や痛み、恨みなどの固有観念を持って接していた。


 だがこの映画の撮影を通じて、私は、韋紹蘭老人の多くの態度を学んだ。それは私の想像を超えていた。彼女は非常に楽観的な老人だったのだ。「世界はすばらしい。ろくなものを食べていなくてもこの命をながらえさせてくれたのだから」。ある時、撮影を終えて現地を離れる際、私は彼女に炊飯器をプレゼントした。「これ使えますか?」と聞く私に、92歳だった彼女は「初めから何でもできる人はいない。覚えればいい」と答えた。今でも彼女はその炊飯器を使っている。


 この老人の楽観的な態度は私を感動させた。撮影終了後、毎年彼女を見舞いに行くようになった。2014年には春節(旧正月)の前に彼女の家を訪れた。翌朝には海南に行き、別の老人を見舞う予定だった。私はその日、彼女に500元の生活費をわたし、夜は彼女らの家で食事をした。夜になって老人に別れを告げに行った。彼女はもう自分の部屋に戻っていた。部屋に行くと、彼女はベッドの上に座って笑顔で私を迎えた。彼女の横に座ると、彼女は分厚い衣服から4つの「紅包」(お年玉)を出した。われわれが4人で来ていたからだ。


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