慰安婦ドキュメンタリー映画「「二十二」の監督:彼女らは歴史を忘れていいが我々は忘れてはならない

慰安婦ドキュメンタリー映画「「二十二」の監督:彼女らは歴史を忘れていいが我々は忘れてはならない。

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発信時間:2018-04-04 10:09:55 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

新青年|《二十二》导演郭柯:那段历史她们可以忘记,但我们不能-新华网



 「これを持って行きなさい。正月だ。帰ってお母さんにアメでも買ってあげなさい」と彼女は言う。袋を開けて驚いた。20元か30元くらい入っているかと思ったら、どの袋にも100元入っている。私が500元しかわたしていないのに、彼女は400元くれたのだ。短編作品の「三十二」を見た人なら知っているが、彼女が数年前まで3カ月ごとに受け取っていた最低生活保障金は90元にすぎなかった。このお年玉の記憶は私に深い印象を残した。それで私は長編を作る気になった。それでできたのが「二十二」と題した長編ドキュメンタリー映画だ。


 作品は、2014年に(元「慰安婦」の)身分を公開していた老人を記録したものだ。この過程では多くの支援を得た。われわれは早くから映画の公開日を2017年8月14日に決めていた。8月14日は「世界慰安婦の日」だからだ。当時、われわれに商業的な発想はなかった。この映画を通じて、8月14日が「世界慰安婦の日」であることを多くの人に知ってほしかった。


 私は当時、老人らの穏やかな姿がみられるのは、自分が老人らと長く接しているからだと思っていた。われわれの過去の歴史の場面を老人とともに作品に使えば、観衆が当時の歴史を考えやすいのではないかとも考えた。だがその後、そのように作品をつくれば、彼女らの家族にそれを見せられるだろうかと思い直した。家族がそれを見れば、少なくともいい気はしないだろうと思った。老人に見せることはなおさらできない。そのため過去の場面を使うことはやめた。


 湖北に住む毛銀梅老人のことも思い出される。作品中で「アリラン」を歌った韓国出身の老人だ。「アリラン、アリラン、アラリヨ」。われわれと彼女との接触も非常に多く、映画を撮り終わって2015年に彼女に会いに行った際には、われわれと撮った記念写真が枕元に飾ってあった。昨年7月に単館で上映された際には、娘の黄さんを連れて武漢に見に行った。黄さんも喜んでいたという。


 私が当時思っていたのは「これで良いんだ」ということだった。われわれは、彼女らにとってすばらしいひとときを記録した。彼女らのかつての苦しみを掘り起こすことはせず、家族も受け入れられるものにできれば、それで十分だと考えた。そのためこの作品には音楽もないし、説明の言葉も、そのほかの何も要らない。ただ単純に記録した。だからこそ「二十二」は、人々にポジティブなエネルギーを与えることができた。


「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年4月4日  

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