練習中の木村翔 (撮影・黄啓元) 。
木村翔がまた勝った!以前はほとんど注目されることもなく、期待もされていなかった「雑草」王者が、再びの「勝利」で多くの人を黙らせた。揚子晩報が報じた。
昨年、中国の鄒市明(ゾウ・シミン)を倒してWBO世界フライ級王者となった酒配達ボクサー木村翔が27日、再び中国を訪問し、山東省青島市で行われた防衛戦に挑み、フィリピンのフローイラン・サルダールに6回KO勝ちし、見事に防衛に成功した。木村翔が鄒市明からベルトを奪取したのはちょうど1年前のことだった。
この1年、木村翔を取り巻く環境は大きく変わり、試合の際の華やかな衣装や新しいボクシングシューズを見ると、酒配達ボクサーから、WBO世界フライ級王者へと華麗な変身を成し遂げた。それでも、彼は新しいボクシングシューズに刺繍された「雑草」という二文字を指しながら、「僕はただの雑草。浮かれることなんてできない」と恥ずかしそうに笑った。
1年前の鄒市明との対戦が、木村翔のボクシング人生において、スタート地点、そして人生のターニングポイントとなった。
中国で圧倒的な人気
7月25日午後、木村翔は青島で記者会見を行い、事前に中国入りしていた日本人記者2人を含む、約20社の報道陣のインタビューに応えた。
試合会場では、写真を撮るために木村翔を探すファンがたくさんいた。「青島ボクシング協会」とプリントされたTシャツを着たあるファンが、写真撮影後に「青島にはあなたのファンがたくさんいる。ここはあなたにとってはホームグランドだ」と激励すると、通訳を通してそれを聞いた木村翔はすぐに頭を下げて感謝の意を示した。
ボクシングライターの加茂佳子さんは、「中国の英雄を倒した木村翔がなぜ、中国でこれほどの人気を誇るのだろう。日本でもこれほどの人気はない」と驚く。
その答えは、おそらく新しいボクシングシューズに刻まれているとおり、木村翔が「雑草」ボクサーだからだ。
昨年12月末、日本のエリートボクサーの五十嵐俊幸と対戦した際、その試合を放送したTBSは木村翔を「雑草ボクサー」と紹介した。「雑草」には2つの意味が込められている。まず、木村翔は元々雑草のように誰にも注目されず、名も知られていない無名ボクサーだった。また、日本語の雑草には、「へこたれずに粘り強く続ける」という意味も込められているが、木村翔のボクシングスタイルはまさに、グイグイ前に出ながらボディ攻めで徐々に崩していく地味なスタイルだ。
しかし、木村翔の中では「雑草」とは「不屈の精神」を表し、「雑草は、見た目は醜いが、生命力はとても強い。僕は自分がそんな雑草であることをずっと忘れない」と語る。
雑草のように頑強な心を持つ木村翔は以前、アルバイトをしながらボクシングの練習に励み、掴んだチャンスをものにしてチャンピオンベルトを奪取し、見事な下克上を果たした。この励みあるドラマのような経歴が多くの中国人の心を打った。あるファンは、「木村翔のたゆまず努力を続ける精神力が好き。国籍は関係なく、彼の努力へのリスペクトだ」と話す。
中国中央テレビ局(CCTV)が青島での防衛戦を生中継したことは注目に値する。これまでに、五輪金メダリストの村田諒太やボクシングアマ7冠の「怪物」井上尚弥、タイのスーパースターのブアカーオ・ポー.プラムックでさえ、このような「待遇」を受けたことはない。
「アルバイトはしなくてよくなった」
木村翔は取材に対して、「アルバイトはしなくてよくなった。それに、ちょっと大きな家に住めるようになった」とうれしそうに話す。元々、西池袋にある家賃5万円の五畳の部屋に住んでいたものの、今は、家賃15万円の十畳の広さの「高級マンション」に住んでいるという。
実際には、昨年7月28日に鄒市明からベルトを奪い、木村翔は中国で一躍有名になったものの、その試合で得た利益は、ファイトマネーの2万5000ドル(約279万円)だけだった。そのため、帰国してからも、酒屋の配達員のアルバイトを続けていた。昨年、中国メディアの取材に応えた際、木村翔は、「電動自転車が自分への唯一のご褒美。チャンピオンベルトは飾る場所がないので、箱に入れてベッドの下に置いている」と話した。そして、日本メディアがその後、中国では熱狂的な人気になっていることに気づき、やっとボクシングを飯のタネにすることができるようになった。
「電動自転車のほか、服と、ぜいたく品を一つ買った」。木村翔の言うぜいたく品とは大きなイヴ・サン=ローランの財布だ。木村翔は、「昨年12月31日、五十嵐俊幸に9回TKO勝ちし、約1200万円のファイトマネーをもらった」。これは、東京のサラリーマンの年収2年分にあたる。
苦労人の木村翔は今でも節約生活を送り、着ている服のほとんどはスポンサーにもらったものだ。「お金は今後のことを考えて貯金している。結婚もしたいし」と木村翔。自分のボクシングジムを開設し、きれいな女性と結婚するのが夢だという。
「みんなが目を見張るほどの美人が好き。例えば、女優とかモデルとか」。彼女はずっといないという木村翔の女性に対する理想は非常に高く、「五十嵐さんに勝ってから、街でも声をかけてもらえるようになった。時々、きれいな女性から写真を撮ってほしいとも言われる。でも、断られるのが怖くて、相手の電話番号をきいたことがない」という。
感謝の気持ちも忘れず
一年前に、上海でベルト奪取に成功した木村翔が試合後にリング上で、鄒市明に頭を下げて感謝した姿に、多くの人が感動した。「今日の僕があるのは鄒市明のおかげです。あの試合以降、彼に会ったことはないが、機会があれば、会って感謝の言葉を直接述べたい」と木村翔。
「たまたま鄒市明に対戦相手に選ばれたから、中国でチャンピオンベルトを奪うことができた。さらに、日本のボクシングファンにも僕の名前を知ってもらえるようになった。僕の人生はそれで完全に変わった。本当に貴重な機会なので、今後もそれを忘れずに努力を続けたい」。
木村翔が所属する青木ジムの有吉将之会長によると、「木村翔は絶対に感謝の気持ちを抱き続けていくだろう。鄒市明と対戦しなければ、いまのような生活はなかった。元WBO世界フライ級チャンピオンで第52代日本フライ級王者の五十嵐俊幸でも、ガソリンスタンドとスパーリングパートナーのアルバイトを掛け持ちしながら、なんとか生計を立てている」という。
実際、経済的に苦しい家庭で育ったボクサーが割と多い。中国の熊朝忠は、雲南省の国境地域・文山出身で、鄒市明も貴州省の田舎出身だ。米国のボクサーも黒人コミュニティ出身のボクサーが多く、南米のボクサーもスラム街出身が多いほか、東南アジアのボクサーも貧しい田舎町かスラム街出身が多い。
息子と母親
親思いの木村翔は、試合前と試合後は毎回必ず母親の墓参りに行く。「これまでに、1回しか負けたことがない。それはデビュー戦で、その時は試合後墓参りには行かなかった。でも、それから毎回、試合前と試合後に行って、勝利を母親に報告する。鄒市明との試合後も、チャンピオンベルトをもって墓参りし、守ってくれたことを母親に感謝した」。そう話す木村翔は少し涙ぐんでいた。
「最近は、試合がない時でもよく墓参りに行って、毎日頑張っていることを母親に知らせている。今回青島に来る前にも、墓参りに行って、必ずチャンピオンベルトを持って帰ると、母と約束してきた」。
その母親との約束を、木村翔は果たした。(編集KN)
「人民網日本語版」2018年8月2日