中国のパンダは1972年に日本訪問を開始した。中国政府は1972年10月27日に中日国交正常化を記念するため、日本にパンダの「カンカン」「ランラン」を無償提供した。情報によると、当時多くの日本人が羽田空港と上野動物園に駆けつけ、パンダの姿を見ようとしたという。空港から動物園に向かう路上、パトカーと約100人の警備員が護送し、まさにVIP待遇だった。動物園に到着すると、この2頭の「初代訪日パンダ」は日本の動物園にとって史上最大のブームを巻き起こした。上野動物園の入園者数は1973年に、過去最多の920万人を記録した。
しかし残念ながら、カンカンとランランは赤ちゃんを産まないうちに死んだ。
1985年、パンダの「ホァンホァン」と「フェイフェイ」の赤ちゃん「チュチュ」が誕生した。日本で初めて生まれたパンダのチュチュは、43時間しか生きられなかった。
幸運の神がついに、1年後に舞い降りた。フェイフェイとホァンホァンは1986年に、「トントン」と「ユウユウ」を産んだ。当時園長だった中川志郎さんによると、パンダにはエサとして薬用人参も与えられた。「パンダのパパは高齢だった。赤ちゃんが無事に生まれて嬉しい」
中日国交正常化20周年となる1992年、ユウユウが北京動物園に移動した後、北京動物園から「リンリン」がやって来た。
リンリンの配偶者として、上野動物園はメキシコから助っ人「シュアンシュアン」を借りたが、赤ちゃんが生まれることはなかった。リンリンが2008年に死ぬと、上野動物園からパンダがいなくなった。同年の入園者数は60年ぶりに300万人を割り込んだ。
3年後、上野動物園はついに中国からパンダのカップル「ビリー」「シエンニュ」を迎えた。翌年に赤ちゃんを産んだが、1週間もたたないうちに死んだ。その後さらに5年が過ぎ、新たな赤ちゃん「シャンシャン」が無事誕生した。
日本の菅義偉内閣官房長官が話したように、「これは日本全国を喜ばせるニュース」だった。東京都はパンダの名前の選考委員会を設置し、32万件以上の応募作品の中からシャンシャンという名前が選ばれた。日本の主婦は「これは拍手を禁じ得ないやんちゃな名前だ。外交の難題があるが、パンダの赤ちゃんの誕生が日中友好関係をさらに発展させることを願う」と述べた。
中国は阪神大震災の復興を祈願し、2000年に2頭のパンダを貸与した。
東日本大震災後も、中国は仙台市にパンダを貸与する意向を示した。奥山美恵子市長(当時)は、パンダにより「被災地の子供たちに元気を与えたい」と表明した。
安倍氏は今回の訪中で、神戸と仙台へのパンダ貸与を要請した。両国の親善大使であるかわいらしいパンダが、日本の人々により多くの幸せをもたらし、中日友好事業の発展を推進することを願う。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年11月19日