日本メディアは最近、近年珍しくもなくなった日本製品の「検査データ改ざん」などの問題には、国内工場の設備老朽化や人材不足といった客観的な要因があり、やむを得ない事情があるという記事を掲載した。このような解釈には合理性があるが、「メイド・イン・ジャパン」に問題が生じている根本的な原因については触れていない。
メイド・イン・ジャパンはかつて神格化された。その製品の高品質は、日本に特有の「匠の精神」によるものとされた。近年このメイド・イン・ジャパンに問題が相次いで生じると、多くの人が「日本人が良心を失った」とため息を漏らし、さらにはメイド・イン・ジャパンはこれにて没落するという声も上がった。おだてておいてけなすという両極端は、問題を見据える時に持つべき態度ではない。製品の品質はとどのつまり、生産者と消費者の約束だ。市場経済において、生産者に約束を守らせる上で、「良心」は役に立たない。健全な法律、政府の厳格な法執行、違反者への厳罰こそが、経済の秩序を維持する基礎となる。不正に悪い結果が伴わなければ、不正により不当な利益を手にしようとする生産者が続出し、社会全体の生産の品質がガタ落ちになる。日本を含め、これはどの社会も例外ではない。
日本製品の全体的な品質が今日も非常に高いことを否定できない。これは日本の生産者が道徳的であるから、あるいは生まれつき品質にこだわりを持つためではなく、外部の拘束によるものだ。
まず日本は中国や米国などの国と比べ、社会の共同体が堅固だ。内向き志向の共同体においては、相互間で遵守するルールは法律よりも重要なほどで、このルールに違反すれば排斥・蔑視される。これは中国の伝統的な村や都市部の社会でも見られる。中国の多くの老舗店は百年の確かな品質を伝承しているが、これはかつて「顔見知りのグループ」にサービスを提供していたからだ。品質問題が生じ看板に泥を塗れば、商売を続けられなくなる。日本社会はある程度、村を大きくしたようなものと言える。この相互制約により、伝統的な日本の生産者は品質管理を重視する。