ジャーナリスト 木村知義
冒頭から「余談」で恐縮ですが、昨年秋ポーランドのワルシャワで開催された「第18回ショパン国際ピアノコンクール」の入賞者の演奏を聴きながら音楽、芸術関係者が語り合うテレビの特集番組を見ていた時のことです。本大会の出場資格を得たのは、中国が一番多く22名、ついでポーランド16名、日本14名…という話に驚きました。調べてみると、151名の予備予選参加者のうち本大会出場が許されたのはここに書いた中国、ポーランド、日本についで韓国7名、イタリア6名など87名だったということを知りました。音楽に大した知識もない私ですが、もう20年ほど前に「深圳芸術学校」を取材したことを思い出しながら、クラシック音楽の世界でも「アジアの世紀-中国の時代」を迎えていることに感慨を新たにしたのでした。
「速度」と「方向」という大事な要素
ところで、先月「中国速度」という言葉を使って中国のイノベーションの進化と深化について考えの一端を述べました。「速度」という言葉には、単なる「速さ」という意味だけではなく、「方向」という要素が含まれていることが知られています。「ベクトル」という言葉を思い出す方もいらっしゃるかもしれませんね。ですから「中国速度」という時、速さとともに中国がめざす方向、すなわち「針路」という重要な意味が含まれていることに注意を払わなければならないと思い至りました。そこで、昨年のちょうど今頃、全国人民代表大会で決定された「第14次5カ年計画と2035年遠景目標」について「復習」してみなければと思い立ったのでした。読み返してみると、随所にハッとさせられるところがあり、これまで実に大まかな読み方しかしていなかったことに改めて気づかされました。
なぜこんなことを始めたのかというと、日本で仕事をしている中国人の友人との何気ない会話に触発されたからです。彼は中国と日本双方の企業、産業・経済の現場を取材するとともに日中双方の企業・経済関係者にさまざまなアドバイスもする、いわば日中の産業、経済の架け橋の役割も果たしている存在です。
中国人の友人との会話からの気づき
「それにしてもテクノロジー分野での中国の進歩の速度はすごいものがありますね」
「もちろん、研究開発では中国は世界の先頭集団に立つ勢いですが、まだまだ日本にかなわない課題もありますよ」
「どういうことですか、5Gはもとより、AI(人工知能) にしても量子技術にしても中国の進化は凄いじゃないですか、日本はすでに追い越されているんじゃないですか」
「それはたしかにそうですね。しかし、そういうものを作り上げる際に重要な最先端の精密部品は日本の企業が開発して造ったものに依存しているものがずいぶんあるんですよ。そうした先端部品を造ることは、研究開発のレベルがどれだけ上がってもそれだけではできないのです」
「じゃ、何が足りないのですか」
「研究者ではなく、現場でものづくりにあたる技能労働者です」
「なるほどね。日本では中小企業も含め職人技という言葉があって、コンピューター制御では仕上げきれない細かいところを、手触りなどの鍛えられたカンで仕上げる技能労働者がいますからね。でも最近はそうした技や基盤技術の継承も難しくなってきていると聞きますね。職人という言葉も聞かれなくなってきたような気がします」
「中国は先端的な部品や精密な部材を集めて製品にすることはできるようになってきましたが、その先端的な精密部品を独自に造ることができるようになるには、まだ時間がかかるのです…」
その時の会話のほんの一端ですが、なるほどと思うとともに、中国が力を込めて語るイノベーションに込めた意味について、もっと深く勉強してみなければと思ったのでした。しかも、これは私の個人的な感慨に終わらないことに気づいたのです。私自身の勉強が足りないという私的な事情であればわざわざここに書く必要もないことです。ではなぜこんなことを書くのかです。中国がイノベーションを力説することも知っている、中国の目覚ましいばかりのテクノロジーの進化も、それなりに知っているつもりでした。しかし、中国自身が何を課題と感じ、それを乗り越えるためにどう努力しようとしているのか、つまりどのような「方向」をめざしているのか、その「針路」について的確に知ることができていなければ、日中間の協力や協働と言ってみても実体の伴わないお題目に終わってしまうということを知らされたからです。
ウイン・ウインの日中関係のために
習近平主席の演説はじめ、中国のさまざまな文書、文献でも「ウイン・ウイン」ということが強調されます。これからの世界では、経済、産業、技術をはじめとして、相互に依存しながら同時に競い合う、それが相補い合いながら総体として世界の進歩、発展につながりお互いを豊かにしていくことになるという理屈だと理解しているのですが、そのためには、お互いの強みと足りないところについての相互認識が欠かせないということなのですね。しかも、こうした問題について深めていくことは、実は、中国との協力関係について考えることにとどまらず、日本におけるものづくりの現状やそれが抱える課題について考えることにもなり、日本における産業政策をどう組み立てていかなければならないのかという政策論としても重要な意味を持つ営みになるということです。つまり、中国の技術や産業・経済について考えることが、合わせ鏡のように日本のあり方をも映し出すという非常に大事な問題として浮かび上がってくるというわけです。
こんなことは産業・経済の実務の現場にいらっしゃるみなさんにとっては常識というべきことなのかもしれませんが、メディアの立場で幾分かの取材をした経験があるとは言っても、産業の現場で実際に問題や壁にぶつかって苦労したことのない私にとっては、理屈ではわかっているつもりでも、実は何もわかっていなかったということに気づかされたというわけです。
ですから、こうした問題意識で読み返してみると、十九編65章に及ぶ大部の「5カ年計画」と2035年に向けての「遠景目標」の随所に気づきや触発されることがまさに無数に浮かび上がり、考えさせられたというわけです。
こうして、「中国速度」と書いたことに端を発して、「速度」という言葉に含まれる、中国が何を課題として、どうその解決、目標の実現を目指すのかという方向性すなわち「中国の針路」について、もっともっと具体的に理解と認識を深くすることが大事だと痛感することになりました。まさに、「中国のいま」を見つめる時にどんな視角と視界が必要なのかをあらためて考えさせられることになったのです。
日中国交正常化50年の節目の年に、日中両国の協力について考え、構想していく際にもこれは非常に大事なことだと思うのです。今月、世界が注目する全人代が開催されますが、今年の「政府活動報告」もこうした問題意識と視角で深く読んでみなくてはと思っています。
「人民中国」より 2022年3月3日