東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長
「東京―北京フォーラム」日本側指導委員会委員長
武藤敏郎(談)
今年2月、私は東京オリ・パラ組織委員会の事務総長として北京冬季五輪の開幕式に招かれたが、それ以前にも中国には何度も足を運んでいる。
中国のエネルギー
初めての訪中は2005年か06年、中央銀行の副総裁として行ったのだと思う。当時は上海の浦東地区がまだ工事中で、黄浦江を挟んだ広大な土地がまだ建設現場のような状態だった。10年の上海万博にも、出張ついでに足を運んだ。その頃の上海はすでに立派に発展していて、中国のエネルギーに感服した記憶がある。
10年は名目GDP(国内総生産)で中国が日本を抜いて世界第2位の経済大国になった年だ。1970年に大阪万博が行われ、その40年後に上海万博が行われた。また、前回の東京五輪は1964年で北京五輪は2008年と、44年の差がある。つまり中国は、およそ40年の時間をかけて日本の後を追い掛けてきているということだ。
今では中国のGDPは日本の3倍くらいになっているが、1人当たりではまだ日本の4分の1だ。よって一人一人の豊かさではまだ途上にあるということだと思う。
中国は発展のスピードを増し、日本との距離がどんどん縮まっているので、1人当たりのGDPが追い付く日も近いのかもしれない。中国が今後も発展するのは間違いないが、高齢化社会などの課題は少なくない。その課題をいかに解決するかが、今後の発展にも関わってくるだろう。
日中交流に寄与した五輪協力
北京冬季五輪の際は開会式に参加するだけだったので、数日しか滞在できなかったが、非常に厳格なコロナ対策が行われ、安心して滞在できた。選手村も見学した。北京大会は成功裏に終わったと思っている。
残念ながら北京の街には出られず、車中から見るだけだった。コロナ対策のためにはやむを得ないことだが、ホテルから鳥の巣(国家体育場)や選手村までの移動中に車中から見た感じでは、オリンピックのためによく整備されているという印象だった。
日本はコロナ下に東京五輪を行い、多くの人から感動の声が出た。その際に作ったコロナ対策「プレーブック」にはPCR検査の頻度、行動規制、陽性時の隔離などを列記し、アスリート向け、プレス向け、国際競技連盟向け、IOC(国際オリンピック委員会)向けなど、対象別に内容を変えて厳密な内容にした。このプレーブックは、北京冬季五輪組織委員会にも内容を共有していただいた。東京大会のノウハウをもとに、中国独自の方法も加えたことだろう。東京大会の知見が北京で生かされ、とてもうれしく思っている。
北京冬季五輪は東京大会同様チケット販売を諦めた。日本は一部地域で観客を入れ、東京とその周辺では無観客開催だったが、北京では招待された市民がかなり大勢入場していた。開会式だけ見ても数万人単位で入っていたと思う。おそらく検査などを徹底した上での入場だったのだろう。観客を入れたことで感染拡大したという話はなかったし、有観客開催はとても良い決定だったと思う。東京もそれを望んでいたが、実現できなかったのがとても残念だった。北京で実現できたのは、とても喜ばしいことだ。
オリンピック・パラリンピックはアスリートの大会ではあるが、スポーツの祭典という枠組みを超え、社会を変える力を人々に与える影響力があると私は思った。そんな大会がアジアで2年連続開かれたことは意義があると思うし、日中交流にも寄与したと思う。
世論調査から見える希望
今年の1月、私は「東京―北京フォーラム」の日本側指導委員会委員長に正式就任した。フォーラムでは両国の国民感情を毎年のように世論調査してきたが、残念なことに、昨年の結果は今までの中でも悪い部類だった。その原因は冷静に分析しなければならないが、まずはその事実をお互いが認めなければいけないだろう。
一方、両国民とも日中関係は大切だとは思っているので、その点には希望が持て、貴重な結果を得られたと思っている。よって、この考え方をどのように発展させ、現実のものにしていくか、そのためにはどうすべきかを考えなければいけない。
日中間の経済関係は1990年代から深まり、今日では切っても切れない関係になった。世界の工場と呼ばれ続けてきた中国は、消費水準が高まることで、今や世界のマーケットにもなった。日本経済は中国経済をサプライチェーンとして一体化していると言える状態で、もう逆戻りはできないと思う。実際、何らかの要因で中国での部品の製造が滞ると、日本の完成品の製造も滞るといったケースは数多く起こっている。中国にとっても日本はなくてはならない存在だ。そうした状況を見た国民が、日中関係は大切だと考えているのだろう。
対話で相互理解を促進
しかし世界の現在の政治状況では、政府間の関係を良くし続けるのはなかなか簡単なことではない。その点についても、われわれ民間は解決策を考えていきたいものだ。
最も効果的な解決策は、やはり対話を続けることだろう。それが相互理解を深める鍵になる。両国民の間には多様な考え方や感情があるが、対話なしには相互理解は不可能だ。「東京―北京フォーラム」はまさにその対話をし続けてきた。このような状況だからこそ、われわれがやってきたことを大切にしたいと思っている。
今年は日中国交正常化50周年という節目の年であり、この歴史を無にしてはいけないと思うが、現状でわれわれがすべきことは、決して簡単ではないだろう。
対話が大切だということは先に述べたが、結局われわれの最終的な関心事は、平和と共存だ。これを見失ったら全てがうまくいかなくなる。それをどのように実現するかを対話で探るのだが、経済なら経済、安全保障なら安全保障と、それぞれの専門家がしっかりと対話をしていくことが大事だ。それも一般的、抽象的な事柄を議論するのではなく、具体的でリアリスティックな対話でなければいけない。
ポジティブシンキングと未来志向も大切なことだ。過去を振り返ることも大切だが、そこで終わってしまっては意味がない。ポジティブな未来志向の対話を心掛けることが大切だ。
世論調査の結果の通り、今の日中関係は、どちらかというとネガティブな方向に向かっているということは認識している。だからこそポジティブ思考が大切だ。この局面を前に進める方法は、他にないだろう。
オリンピックの運営をしていると、世界には多種多様な人類がいることに改めて気付かされる。言葉、宗教、習慣は実にさまざまだ。そんな世界において、自分と異なる価値観を持つ相手を否定すれば、物事はネガティブな方向に向かってしまう。多様性を認め合い、その上で平和・人権といった人類共通の価値観を共有し、どうしたらポジティブな発展ができるのかを考えるのが、われわれが出すべき知恵だろう。
(聞き手=王朝陽 構成=呉文欽)
人民中国インターネット版 2022年6月13日