そんな中国で生きる道をもって活動している自分がどうして役者になろうとしたのか。子供の頃いろんな夢があった。小学校の頃は王さんに憧れ野球選手、中学の頃は猪木さんに憧れプロレスラー(当時真剣に入門を考えてました)、高校に入って弁護士。
実は東京に出る前、1年ほど社会人経験をした。ある紳士服の販売店員。よくある青山とかそういうお店。当時はバブルの影響もあり、多いときには1人で1日何百万円売っていた。お客様を“口説く”と言えば語弊はあるが、説得だ。この服の良さ、利便性を理解させる為、ただ“口”だけが勝負。ある意味ペテン師的なものも必要。
夫婦でのお客様、カップルでのお客様は特に気を使う。男女の場合はやはり女性が財布のひもを握ってるのが大半なので、女性主導で責める。でも女性ばかりに説明をしてて男性を疎かにすると男性がへそを曲げるのでその辺の按配が大事。価格がお客様の条件に符合してれば後は焦らずじっくりお客様の立場になりながら接客する。絶対焦ってはいけない。焦ると大半のお客様は逃げる。人間の生まれながらの習性かも。大事なのはお客様の長所を掲げながらその服の美点を説明する。つまり「お客様は肩のラインがはっきりして綺麗なので、こちらのスーツを着てもらえればより風格のある出で立ちに仕上がりますよ」のような。。完全にペテン師のようだがこれが結構はまる(笑)。後はお客様の決断を焦らずじっくり待つ。こっちから急かせないこと。
なんかいろいろ話して中国の話題から遠ざかりましたが、この服飾販売の仕事を通じて演技に対しての面白さを体感してたのかもしれない。その後服飾の仕事を辞め何か自分を表現する仕事に就きたいという思いが強くなる。そして俳優を目指し上京した。
人生の転機のきっかけというのは、このように普段何気なく過ごしている日常に転がっているのだろう。それに気づくか見過ごすか、反応するかしないかの違いかもしれない。これからも、この“きっかけ”を見過ごさず毎日を過ごしていきたい。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月26日