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改革・開放30年で最も影響力のあった30の重要な出来事 |
発信時間: 2008-03-03 | チャイナネット |
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8、社会主義市場経済体制改革の目標の確立 中国共産党第14回全国代表大会は1992年10月12日から18日にかけて北京で開催された。当時の総書記江沢民氏は、「改革・開放と現代化建設の歩みを速め、中国の特色ある社会主義事業の更なる勝利を勝ち取る」という報告を行った。 同報告は、第11期第3回中央全体会議以来14年の経験を総括している。そして中国の経済体制改革の目標が、社会主義市場経済体制の確立だとし、鄧小平氏の中国の特色ある社会主義を建設する理論で全党を武装すると提起した。 大会では『中国共産党規約(修正案)』を採択し、中国の特色ある社会主義を建設する理論と、党の基本方針を党規約に組み入れた。歴史上初めて、社会主義経済体制確立の目標モデルが明確になった。社会主義基本制度を市場経済と結び付けたことは、党の偉大な創造であり、社会主義を認識する上で、歴史的な飛躍である。
9、現代的企業制度の確立 1993年11月11日から14日に開催された中国共産党第14期第3回中央全体会議では、『中国共産党の社会主義市場経済体制確立に関する若干問題の決定』が採択された。会議では、社会主義市場経済体制は、社会主義の基本制度と結び付いたものであると示された。 社会主義市場経済体制の確立は、国家のマクロ調整下での資源配置において市場の基礎的な役割を果たす。そして国有企業の経営メカニズムを更に転換し、市場経済の要求に合わせて建設し、明確な所有権、はっきりした権利と責任、政府の行政命令と企業経営の切り離し、科学的管理による現代化企業制度を確立することだと示した。
10、1993年 分税制改革 国務院は1993年12月15日、分税制の財政管理体制の実施を決定した。中国は1994年に分税制財政体制改革を行い、1995年から再び、政府間財政移転支払い制度を改革し、規範に合った政府間財政移転支払いシステムを逐次確立した。また2002年に行った所得税収入の分かち合いの改革に加えて、社会主義市場経済の要請に適応する財政体制の枠組みを基本的に確立した。これは新中国成立(1949年)以降、範囲が最も広くて調整力も強く、影響が非常に深い重要な制度改革である。
11、1993年 金融体制改革の目標が提出 国務院は1993年12月25日、『金融体制改革に関する決定』を公布した。金融体制改革の目標は、国務院の指導の下、貨幣政策を独立で執行する中央銀行のマクロ調整システムを構築し、政策的金融と商業的金融を分け、国有銀行を主体として、多種の金融機関が共存する金融システムを構築する。そして統一して開放し、秩序ある競争を行い、厳格に管理下にある金融市場システムを確立することである。 金融体制の改革を通して、貨幣政策を独立で執行する中国人民銀行のマクロ調整システムが確立し、政策性銀行と商業性銀行を分離した金融組織体系が実行され、1994年から為替レートが一本化された。 1995年の第8期全国人民代表大会第3回会議では、『中国人民銀行法』を採択し、1996年12月1日から経常項目の人民元兌換が出来るようになった。
12、1994年 国際貿易体制の総合改革 国務院は1994年1月11日、『対外貿易体制改革のさらなる深化に関する決定』を公布し、中国の国際貿易体制の改革の目標を打ち出した。これは統一政策、開放経営、平等競争、損益の自己負担、工業と貿易の結合、代理制の実行、国際経済通用の規則に適応する運営メカニズムを構築することである。1996年4月1日、中国は約4000種類の商品輸入税を大幅に引き下げ、全体的に関税が23%まで下がった。
13、1992と1994年 医療と住宅の市場化改革 中国の改革・開放が行われていた1985年、医療衛生体系も改革の道を歩み出した。医療改革の核心的な方針は、権限を下部へ移譲し、病院の自主権を拡大する。衛生部は1992年9月、国務院の意見に基づいて、病院に具体的な要求を提出した。 国務院弁公庁は2000年3月、『都市部医薬衛生体制改革に関する指導意見』を認可し、2001年5月に『農村医薬衛生体制改革に関する指導意見』を認可した。2004年末までに、全国100億元近い民営資金や外資が約100社の病院の体制改革に介入し、2005年には全国の医療産業の市場価値が6400億元に達した。 国務院は1994年7月18日、『都市住宅制度改革の深化に関する決定』を公布し、都市部住宅制度改革の基本的な内容を明確にした。その内容には、住宅を割り当てるという方法から、労働に応じて貨幣を与える方法に変え、住宅積立金制度設立などが盛り込まれた。この決定は、中国の住宅市場化改革の開始を示している。そしてその意義は、公有住宅の販売を着実に推し進め、都市の労働者に元の公有住宅を販売することによって、中国の住宅私有化のプロセスを完成したことにある。 1998年7月3日に公布された『国務院の都市部住宅制度改革の深化と住宅建設の加速に関する通達』では、分譲住宅の市場における主体となる地位が確立された。2003年8月12日には、『国務院の不動産市場の健全で持続可能な発展の促進に関する通達』、2007年8月7日には、『国務院の都市部低収入家庭の住宅難の解決に関する若干意見』が公布され、調整の方向が市場化から保障へと移り、初めて借家が低価格分譲住宅に取って代わり、住宅を保障するシステムの中心としてはっきりした。
14、1995年 「二つの根本的な転換」の目標 中国共産党第14期中央委員会は1995年9月25日から28日、第5回全体会議を開き、『中国共産党中央の国民経済と社会発展の第9期5カ年計画と2010年長期目標の制定に関する建議』を採択した。この中では、目標実現の重点が、2つの全面的な意義を持った根本的な転換であると示している。 1つは伝統的な計画経済体制から社会主義市場経済体制への転換、2つは粗放型の経済成長から集約型への転換である。この2つの転換は、党が中国の経済発展の規律を深く模索し、全面的に把握した上で提出された重要方針であり、中国の経済建設が、体制改革の深化や質的向上の方向に発展することを示している。
15、1996年 外貨管理体制改革に大きな進展 中国は1996年12月1日、国際通貨基金(IMF)の第8条協定を受け入れ、人民元の経常項目の兌換が可能になった。これは中国の外貨管理体制改革にとって大きな進展である。
16、1997年 第15回党大会で社会主義初級段階の基本綱領を提出 中国共産党第15回全国代表大会が1997年9月12日から18日、北京で開催され、中国共産党の社会主義初級段階における基本綱領が系統的に提出され論述された。 中国の特色ある社会主義経済建設とは、社会主義の条件下で市場経済を発展させ、引き続き生産力を解放し発展させることであり、中国の特色ある社会主義政治の建設とは、中国共産党の指導の下、人民が主人公であるという基礎のもと、法によって国を治め、社会主義民主政治を発展させることである。中国の特色ある社会主義文化の建設とは、マルクス主義を指導思想とし、理想、道徳、文化、規律を具えた公民の養成を目標とし、近代化や世界、未来に向けて、民族的で大衆的な社会主義文化を発展させることである。 この綱領は、鄧小平理論の重要な内容で、党の基本路線は経済、政治、文化などの方面の展開であり、全党と全国各民族人民が団結して努力し、中国の特色ある社会主義建設事業を21世紀に全面的に推し進めるという重要な意義がある。
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